気がつくと、この場所にいた。
どこなのだろう?
見も知らない場所。
繁茂する草や列ぶ木々は、ここが町中ではないことを知らせる。
けれど、ハイキングなんてした覚えはない。
自分の身体を見下ろしてみる。
スーツ、革靴、カバン……
一般的な格好。
すくなくとも、森を探索するための格好ではない。
密集した木々は、数メートル先も知らせない。
日中であるはずなのに薄暗かった。
後ろを振り返る。
そこには小川のせせらぎがあった。
丸石が大小さまざまに横たわり、その周囲を清水が歪みながらも流れてる。
土のニオイが、ツンと鼻をついた。

(狐に、騙された……?)

現代人にあるまじき思考だが、そう思った。
それほどあり得ぬ事態だった。
つい先ほどまで、間違いなく町中を歩いていた。
ときおり記憶を飛ばしながら歩く悪癖はあるけれど、それとて5分ていどのこと。
道路を外れ、道なき道を歩き、見知らぬ場所に行くほどのことではない。

「どういう、ことなんだ……?」

悩むが、答えは出ない。
音は森に吸い込まれた。
見渡す範囲内、ただ一人しかいない。
梢のざわめきが満ちている。
どれだけ耳を澄ましても、人工音はまるで無い。
幻想的な風景だけが広がる。

「考えても仕方がない、か」

意識を鋭角にし、革靴の底で木の葉を踏む。
慣れない景色の中を進んだ。

――――正直に告白すると、この時点では、まったく慌てていなかった。
富士の樹海などでない限り、道に迷うことは致命的な事態に繋がらない。
まして、背後には川が流れている。
これを伝って行けば助かる道理だ。

まさか、この時、『実は遭難の真っ最中なのだ』と誰が理解できただろう?

後悔は、先に立たないから後悔と言う。
後で悔やむからこそリグレットだ。

警戒心は無く、ピクニックの心地で歩む。
濡れた土を避け、できるだけ石の上を選んで進んだ。


+++


――息が荒い。
――身体が重い。
森の中を歩くのは、予想以上に堪えた。
やわな現代人を、こんなところに放り込まないで欲しい。
周囲の森は、知っているものとは異なってた。
普通、森というのは、人の手が入っていれば均等間隔で、お行儀よく列んでいるものだ。
それが、てんでばらばらに、みっしりと密集してる。
通れる場所が極端に少なかった。
上着はすでに脱ぎ、カバンの中にしまっている。
湿気が濃い為か、汗が絶え間ない。
生水は身体に悪い、と理解してはいるものの、横を流れる川の水をいくども飲んだ。
ちょっとびっくりするほど冷たく、心地好い。

「どこまで、続くんだか……」

荒い息の中、独り言を呟く。
口の端から水滴がこぼれた。
どうやら不安になっているらしいな、と自己分析する。
普段、独り考え込むことはあっても、口に出すことは稀だ。
ま、かれこれ二時間は歩いてるから、そろそろ不安になってもおかしくはない。
周囲の風景は、出発地点と何ひとつ変わってなかった。
相変わらず川は流れ、木は密集し、静けさが満ち、ゼイゼイと云う呼吸音が一番大きい。
生きている物――たとえば動物などと出会わないのは、別段、変ではないが、人がいた痕跡がまるで無いのは少しばかり変だった。
キャンプや釣りに最適と思われる川原がいくらでもあったのに、花火や、煙草、ビールの空き缶、焚き火跡などの残骸がひとつも無いのだ。
今日びゴミが無い場所など考えられない、これはつまり、人が来たことが無い――すくなくとも観光をする場所ではない証左だった。
一体どれだけ山深いかを想像すると気が遠くなる。

――ここまで来ると、どうやら単純に道に迷ったわけではないと理解できた。
流石に、これほど盛大な迷いっぷりは経験が無い。
いや、それ以前に、ここまで来れるほどの体力があるはず無かった。

「日、暮れてきたなあ……」

絶望的な気分だ。
煙草は吸わないから、ライター・マッチの類いは持っていない。
原始人の真似をして、棒と板で火を起こすかと考えるが、体力の無い人間が、何の技術もなく出来るものだったろうか、アレは?
情報媒体で見たが、偉い苦労をして点けていた。
つまり、今夜は火も無しに一夜を過ごさなければ――

「あー、ちょっと待った」
「…………え?」

最初、それが言葉であるとは分からなかった。
他人がいる可能性は、既に無いものとして扱っていたのだ。
振り返るとそこには――

「巫女……?」

そうとしか言えない人物がいた。
かなり崩れた服装ではあるけれど、第一印象は間違く、そうだった。

「どうやって来たの?」
「ん?」
「だから、どうやって『ココ』に来たのよ」
「いや、意味が、分からない」
「ふーん?」

じろじろ見られた。
なんだか嫌な感じだ。

「……ま、いっか。害はなさそうだし」

迷い込んだだけか、と呟いてた。
まるで意味不明だ。

「ちょっと、あの?」
「あー、忠告しとくけど、早いとこ、なんとかして出た方がいいわよ。命が惜しいんなら、なおさらね」

それだけを言うと、巫女(?)は、その場を後にした。
森の中に一歩、入り込んだかと思うと消え去った。
跡形はまったく無く、まさしく神隠しのようだ。

「やはり、狐に化かされてる……?」

いや、それよりも、せっかくなら出る方法まで教えて欲しかった。
命の危険があるなら、なおさらに。


+++


ふたたび歩く。
折角の忠告だが、帰り道が分からないのでは仕方が無い。
陽が傾いてゆくのを恨めしく見ながら、それでも可能な限り進んだ。
そして、時刻で言えば午後四時ていどになると、今日の到着は完全に諦め、夜営の準備をする。
周囲が赤くなってから、こうした行動をしても遅い。
夕刻とは、思った以上に短時間しかないのだ。そして、光源の無い森は、想像以上に暗くなる。
適度に水辺に近い場所を選び、さっそく準備に取り掛かった。
丈夫そうなツタや木の根を集めてロープとし、二本の樹の間をグルグル巻きつける。
人一人分の重量を支えられるほどになると、今度は縦に巻きつけ横に眠れるようにする、その上に木の葉やコケを敷き、今夜の寝床は完成だ。
たとえこの季節であっても、地面に直接眠るのは得策では無い。体温が低下し、蟲やら微生物に身体を弄られること請け合いだ。
『地面から離した高所に寝床を作る』ことは必須だった。

――作業中も念のため、周囲を見渡し、先ほどの巫女が表れないか観察をするが、いまの所その期待は裏切られた。
本気で、ただ『忠告』をしたかっただけらしい。
傷だらけになった指先にバンソウコウを張りながら舌打ちをした。
他力本願での打開は、やはり無理か。

「寝るか……」

自作の寝床で横になる。
カバンからスーツを取り出し、布団代わりにかぶった。
乾いた汗のニオイが鼻をついた。
夕焼けは過ぎ去り、いまはもう夜だ。
歩くこともままならない、完全な闇。探索はどう考えても無理だった。
時刻で云えば宵の口もいいところだが、無駄な体力の消耗を抑えるには眠るしかない。
さかんに食物を要求する腹を押さえ、いまは忍耐の時だと説得する。
身体は酷く疲れていたが、頭は奇妙なほど興奮してた。
指すら動かしたくないのに、目だけが恐ろしく冴えている。
両方とも、慣れぬ環境のせいだろう。
――森の野生動物は、夜のほうが活発になる、などと云った無駄な知識を振り払い、瞳を閉じる。
予想に反して、五秒もしないうちに眠りに落ちた。


+++




・・

・・・

……まず始めに自覚したのは矛盾する二つの感覚だった。
足先や指先の冷たさ、特に左手が酷い。
冷凍庫で冷やし続けたようだ。
自分のものとは思えない。
次に気づいたのは胸にある暖かさ。
布団や抱き枕とは異なる、『生きてるものの熱』。
自分以外の生物が胸で呼吸をしている。
息づかいが衣服ごし伝わる、寝返りをうつ様子が明瞭に――

「!」

そこまで考えて、一挙に頭がクリアーになった。
遭難していること、野外で一夜を明かしたこと、そして何より『一人であった筈であること』を思い出す。
命の危険が、まず頭を掠めた。
鼻先をつくニオイは人のそれではない。
多量の毛を持つ動物特有のものだった。
『それ』を突き放し、せめてもの盾としてカバンを引き寄せるが――

「ふにゃ?」

戦意を維持するのは、かなりの大仕事であるようだ。
自作の寝床から転がり、上下逆さで目をぱちくりさせているのは、いわゆる『ネコミミ少女』だった。

「あっ、れ?」

少女は、なにやら不思議そうに左右を見渡していた。
不思議なのはこちらだと言いたい。

「……誰だ?」
「え!? あれ? ここどこ!」

突如パニックに陥った。
擬態……では無さそうだ。
本気で困っている。
ひとしきり、周囲を無意味に暴れ走ったかと思うと、唐突に立ち止まり、ひたとこちらを見てきた。
実に懐疑的な視線だ。

「あー……」

なぜ、『あんた、ひょっとして犯罪者?』的な目で見られなければならないのか。
侵入者は明らかに向こうであるのに。

「状況を整理しよう」
「え、あ、はい」
「昨夜、この場に寝床を作り眠った。その時点では一人だけだったはず、そして、朝もまた一人でなければいけない。が、なぜか君が一緒に眠っていた、これがこっちから見た状況だ。OK?」
「お、おーけー」
「なら、次はそっちの番だ」
「え、えーと……」
「うん」
「その、ね?」

侵入者の説明が始まる。
――話術『勘違い』が発動された! 
――トラップカード『あ、これは夢の話だった』オープン! 
――地形効果『知らない場所でひとりだよぅ』の効果継続! 
――リバースカード『結局最初から説明する』!!
……さまざまな高等話術を使って橙がした説明によると、『迷って困ってた』と云うことらしい。
これだけのことに多大な時間がかかったのは、「ええっと、三番目の樹の右に行ったと思ったのに、それは四番目の間違いで、あ、でもその時には猫目石が欲しいなって、でも、果物が美味しくて食べちゃって――」と云う、必要ない情報が満載された説明のためだ。
よく理解できたものだ、本当に。

「つまり、だ」

痛むコメカミを押さえた。

「お互いに迷子、または遭難中、と云うことか?」
「あ、うん」

言い切りやがった。
青筋が浮かぶのを自覚する。
ここまでの説明するのに、実に数時間。
朝食も無く、探索することも無く、ただ無為に時間を消費したわけだ。

「ふう」

落ち着くために呼吸を大きく一つ。
良い方向に考えよう。
少なくとも、これで原住民との繋がりは得られた。
ネコミミではあるが、そんなものは見慣れてる。
なんであれ『生きている存在』がいるのであれば、元いた場所に戻る方法も見つかる。
地元民の協力が得られれば、大抵のことは解決できるものだ。
問題なのは――

「うぅ……」

ネコミミの警戒心が、まるで解かれていないことだろう。
会話程度はできるが、胸前で両手を抱え、出来る限り距離を取っていた。
この手の物の怪は、見た目と相反して強力であるのが定石なのに、どいういうわけだか、警戒し、脅えきっている。
――誘拐犯とその被害者。
脳裏におかしな単語が浮かんだ。
親御さんが来たら、どうなるだろうか?
正直、上手く説明する自信も、助けを得られる自信も無い。

なにせ橙は、一時もこちらから目を離さず、常に逃げ出せる体勢を取っているのだ……

「はあ」

再び大きくため息を吐く。
先行きはどうにも暗かった。
そんなに警戒されても、こちらには傷つけるつもりは微塵も無いというのに、どうすれば伝わるのだろうか。
もともと、寝床に来たのは――

――――っと、待てよ?

純粋な疑問が過ぎった。 
すこしばかり奇妙だ。

「なあ、橙」
「な、なに?」
「聞きたいのだが、橙は夜になっても見覚えのある場所に出られず、途方に暮れていたんだよな?」
「うん」
「なら、さ。どうして『見も知らない人間の懐で眠る』なんてことをしたんだ? ひとりで不安だったのは分かるが、ちょっと無用心じゃないか?」

警戒心の塊が、たかだか疲れてるていどのことで、身の危険に直結する行動をとるのは明らかな矛盾だ。
先ほどから観察していたが、橙の動作は猫そのものだ。野生の部分を多く残している。
そして野良猫だろうが家猫だろうが、猫とは初見の相手に懐く動物ではない。

「あ、あー、うん、そだね」
「な?」
「で、でもね、ニオイがしたから、それはしょうがないの」
「ニオイ?」
「うん、えーとね……」

ふたたび会話のカードバトルが始まる前に、今度はなんとか誘導できた。
時間のロスは少ない。人は学習する生き物だと自覚する。
つまり、疲れ果て、寂しさ幾億万の所に『とても懐かしいニオイ』がし、矢も盾もたまらず『マタタビみたいに』吸い寄せられ、現場到着したとたんに就寝。
今朝の騒動に繋がる、ということらしい。

「ニオイ……それだけか?」
「ん」

橙は頷いた。
どうやら行動基準も動物的であるらしい。
はあ、とため息をつき、コンコンと自分の額を叩いてみる。
橙に倣って、というわけではないが、毛繕い的に自分のカバンを再検査しながら思考した。
意識を取り戻してから後、拒否反応を示したということは、こっちの匂いそのものに惹かれたわけでは無いだろう。
なんらかの残り香である可能性が高い。

(あの巫女……か?)

胡散臭いとまでは言わないが、不思議な雰囲気を持っていた。
妖怪の一人や二人、知り合いだとしてもおかしくは無い。

「なあ、橙……って、オイ!」

取り出して、作動チェックをしてたインスタントカメラに、橙が興味を示してた。
目が爛々と輝いてる。

「ね、なになに、それ。食べ物? 食べ物?」
「そ、そんなわけないだろう、これほど真っ黒で固い食物は無い!」

手を上に掲げ、防御するが、人間離れした跳躍力で、カメラを奪おうとする。
何故これが食べ物に見えるんだ? チョコレートとでも錯覚したんだろうか?
今となっては型遅れもいいところのアナログカメラ。生産や販売はとっくの昔に中止され、フィルムすら専門店で買わなければならない品だが、物心ついた時から共にあるものだ。
そう易々と、噛み跡を付けさせるわけにはいかない。

「って、コラ! だから食べ物と違うと、そう言ってるだろうが!」
「うん、それは分かった、だから見せて見せてー!」

ええい、昭和初期の子供か、橙! こんなもので興奮するな!
それと見せたら絶対に破壊するだろ、なぜか簡単に想像できるぞ!

「しないってー!」
「どこがだ! 信頼度ゼロどころかマイナスだ!」
「えー、大丈夫だよ、分解と破壊は得意なんだよ?」
「修理と再構築が無いのはどういうわけだ!」
「――橙?」
「「え?」」

掛けられた声に、ふたり同時に驚いた。
もっとも、こっちの訝しげなものに対し、橙のは幾分か明るかったが。
鬱葱と茂った藪をかき分けて来たのは――――なんと言おうか、『近所のおばさん、ハイグレードカスタム版』と云った雰囲気の人物だった。
髪は金髪で横に膨らんだボブカット、衣服は給食白衣と民族服とを掛け合わせたような特異なもの、手には良く分からぬ、扇子に近いものを持っている。肌も頬も健康的でシミひとつないのだが、どこかしら『母親』をイメージさせた。

「む?」

突如、不審な目をした。
乗っている三角形の耳や揺らめいてる狐尾から見て、ネコミミの関係者なのだろう。
見も知らぬ人間と抱き合ってる(ようにも見える)状態は、たしかに平素に行なわれるものでは無い。
いや、というよりも、これは、一歩間違えればオカシナ人間として認識されるのではないか!?

「こ、これは違う!」
「――――」
「藍さまー!!」
「お、っと」

不審から殺気へと変化し、額に青筋が浮かぶより先に、橙が駆け寄り、抱きついた。

「藍さま藍さま藍さまー!!」
「お、おお、橙! 心配したんだぞ? 大丈夫だったか? ヘンなことされなかったか?」
「え、ウン、だいじょうぶ――」
「まったく心配をさせて、この、この!」
「やー!」
「おお汚れが、こんなところに!」
「わ、だめ」

……なんといおうか、その場で展開されたのは、描写を控えたくなるほどのスキンシップだった。
第三者がいることも忘れて、あらんかぎりの愛情表現を行なう。
まさに二人の世界と云うやつだ。
同姓でも、バカップルという遺失単語は使用可能だったろうか? 是非とも適応させたくなる状況だ。

「はっ!?」
「んー♪」

こっちが冷たい半眼で観察しているのに気づいたのか、藍さま、とやらは焦ったように橙を下ろし、コホン、と咳払いをした。
……もはや遅いという認識は、間違っているだろうか?

「あ、あー、どうやら橙を助けてくれたようだな、感謝する」
「……いや、たいしたことはしていない」

実際に、そうだ。
知らぬまに寝床に侵入されただけだ。

「ん? それは……?」

橙と同じく、藍もカメラに興味を示した。
訝しげにこっちの手元を見る。

「ああ、これはインスタントカメラと言って――」

――けっして食べ物ではない、と続けようとして、ふと、そこからの説明に困った。
最初期、カメラが登場した時に、『魂が吸い込まれる』という俗説さえ作った品だ。下手な説明は話をこじらせる。
言葉の選び方に逡巡していると――

「媒体、だな」
「え?」

奇妙な言葉が断ち切った。
鋭い視線で、藍は射抜くようにこちらを見てた。
敵を見る目では無かった、『異物』を、『特異な例外』を見る目だ。
ぞわり、と背中が総毛立つ。

「橙の忌避しなかったのも頷ける、このようなことが起こるとは……いや、必然か? おそらくは混線してるだけなのだろうが――」
「あー、ちょっと?」
「その器物」

片手で橙を抱きつつ、逆手に持つ扇子で示した。

「おそらくそれはただの『契機』にすぎない、言うなれば補助輪のようなものだ。たしかに安全ではある、手軽でもある。だが、それ以上のことをさせない『枷』にもなっている。生き残りたいのであれば、早めに気づくことだ」
「な、なにを――」

言ってるんだ? と続けるより先に、藍と橙の背後に『裂け目』が生じた。

「さて、長いこと家を開けてしまった、早急に戻らねば。道行は辛いものとなるだろうが、橙を助けてくれた者だ、遠く祈る程度のことはしよう……まったく。あの方には、いつも苦労をさせられる」
「ばいばーい♪」
「では、息災で」

一歩、後ろに下がる。
それだけの作業で二人は『裂け目』に入り込んだ。そして、別れの挨拶と共に閉じ、周囲の風景と混ざり合う。
後に残るのは、まるで変わらぬ森林模様。

まさに、狐に馬鹿された。

見上げると、太陽が真上に昇っている。
腹は鳴り、道はわからず、遭難中であることに変化はない。

「祈るくらいなら、知ってる場所まで送って欲しい……」

復活した理性が呟いた。
あの巫女といい、さっきの狐といい、ここの人はどうもズレている。
なんだか馬鹿らしくなり、研ぎ澄ませてた意識、思考、言動を緩めた。
危険ではあるのかもしれないけど、どうも真面目に相手をする状況じゃなさそうだ。
幾分か気楽になりながら、苔むした木々を再び歩く。
垂直な爆発を連想させる巨木、遥かな時間をかけて苔が堆積した様子、静かな海原のような隆起を繰り返す大地、木々と土と緑だけで作られた、純粋な混沌。
はあ、本当にどこなんだろ、ここ?
考えてみれば、これだけの自然林が残っているような場所、現代の日本にそうそうあるはず無かった。
昨夜、月を見なかったことが実に悔やまれた。
どこか抜けているというか、うっかりしている自分の性質を改めて自覚した。
これでは相棒のことを笑えない。
遅刻はしてもミスはしないのが信条だったのに、一人になった途端このザマか、まったく。



――――ああ、そういえば、自己紹介が遅れてた。

わたしの名前は宇佐見蓮子。

どこぞの結界が視えるメリーと違い、秘封倶楽部に属する、ごく普通の女性体だ。
まあ、『いくつかの点を除けば』ではあるのだけれど、それはおいおい説明する。


目下、遭難の真っ最中だ――――