あいやー。

最初に思ったことがそれだった。
人間、あんまりにも驚くと、ワケの分からないことを考えるらしい。あいやー。
千差万別な彼女たちを前に、私の脳みそは限りなく停止状態に近かった。
絶対に今、2桁の計算は出来ない。

――『こっち』と『むこう』、つながっちゃったんだなあ。

なんとか、次に思ったことがこれだった。

博麗神社は、既にもう『異世界』だった。
人魂が独特のひかりで境内を照らし、緑は濃く香ってる、月と星でさえも生き生きと輝き、大気には魔力が濃く満ちあふれていた。
こんな場所、いまの日本にあるワケがない。
あの自動販売機兼ご神木が閃光で消し飛ばされ、神社は本来の姿をとりもどそうとしてた。
上方では、おそろしいほどに巨大な大結界。
それはまるで、空にもう一つ空を重ねたみたいな光景だ。
ちっぽけな現代人じゃ処理が追いつかない、あまりといえばあまりに広大すぎる『空』。
呆然と、たましいを奪われそうになりながら、私は立ち尽くすしかできない。
まさに、『あいやー』って光景なのだった。

――あ、けど、ただ呆然としてるワケにもいかなかった。

目の前の宴会場が、とてつもなくヘンな雰囲気になっている。
仮にも酒盛り場だっていうのにしわぶき一つせず、しぃ〜ーーん、と静まりかえり、彼女たちは私たちを見つめてる。例の三姉妹だって演奏を止めていた。
まるで水を浴びせかけられた猫みたいな、『な、なにいぃ!?』ってビックリ顔だ。
まんまるの目を私たちに張り付かせたまま、彼女たちはただ硬直してた。
巫女さんはものすごく引きつった顔で固まり、侍の女の子が幽霊姫を小脇に抱えたまま停止し、メイドさんが「あらまあ」って顔で私と蓮子を見てる。
動いてるのは、人魂と夜空くらいなものなのだった。

「ど、ども、お邪魔してます……」

とりあえず、私はペコリと頭を下げた。
まるで友人宅の家族にするみたいな挨拶なのは仕方がない。
こんな時、他にどうすればいいのか分からなかった。
誰か『異界人との正しい挨拶のやりかた』を知っているなら教えて欲しい。

――こちらが挨拶しても、少女たちは硬直したままだった。
反応はなく、ヘンに熱い空気だけが満ちている。
さみしいというよりも、少し怖い雰囲気だった。

「――蓮子」

私は小さな声で尋ねた。

「なによ」
「蓮子、これってどういうことだろ?」
「わたしが知るわけないでしょ」
「そうだよね、うん」
「ただひょっとして、ここは部外者が入っちゃいけない所だったんじゃない? 『宗教儀式の最中に観光客が紛れ込んだ状態』って可能性があるわ」
「えー、明らかにそんな雰囲気じゃなかったよ、酒盛りしてただけじゃないの?」
「けれど、これは――」

私たちが相談をしている最中。
視線をブスブスと突き刺さしてる内のひとりが、ポツリと喋った。
耐え切れないとでも言うような、振り絞った小声なのに、その声はやけに大きく響いた。


「――――ごちそうだぁ」


「「え゛?」」

な、なんてオッシャイマシタ、いま!?
――気づいた。
囲んでいる内の何割かが、口の端からヨダレをたらしてることに。
あ、あとその野菜を食べるのに不向きと思われる鋭い歯は、なんで付いてるのでしょう?
ああ、なんかみんな微妙に近づいてきてる気もする。こんなに距離が近かったか!?
私たちを見る目も招かれざる無礼な客を見る目なんかじゃなかった。祭り会場に迷い込んだ『極上のカモネギ(特選素材)』、『狼の前の子豚2匹(レンガの家なし)』、『注文の多い料理店に入ってきたお馬鹿なお客』として見てる!!
背すじに冷たいものが走った。
視線は、だんだんと熱を帯びたものに変わっていく。
彼女たちは、血がにじんだ私の膝小僧とかを見て、つばを『ごきゅり』とかいって飲んでるし、呼吸だってヘンに荒い。
宴会は終了し、新たな催し物が開始されようとしてるらしい。
その名はハンター・ハンター。
標的は私たち。
獲得できる賞品も私たち。
その後の食材も私たち。

じり、っと下がる。
じりじり、っと進んでくる。

「あ、あは……?」

引きつった笑顔とか浮かべてみる。
「きっと誤解だよね?」という意味を込めて。

『――』

対面の彼女たちは、『にっこり』と笑みを浮かべた。
優しい、慈悲あふれる笑顔だった。
――目はちいっとも笑ってない。
そこには「よくぞ来てくれた、我が好物♪」と書かれていた。

「メリー……」
「うん……」

デンジャー警報発令中。
すごく命の危険っぽいので所定の位置まで全速力で後退しましょう。
というかマジでヤバそうです、母さん、もう結界やぶりなんかしないから助けて。

そして――
私と蓮子が背を向けるのを合図にすべては動き出し、命がけの競技が開始された――



+++



「ひええええ!!!!」
「いやあああ!!!!」

私は石段を駆け降りる。
蓮子と一緒に手足を揃え、全速力で。
声を限界まで張り上げるけど、後ろからの気配はぜんぜん消えてくれない。
百鬼夜行が迫ってくるのが嫌でも分かった。

「おっしゃ、みんな頑張れ〜」

やる気のない言葉と共にハイテンポな曲がかき鳴らされた。
指使いの限界に挑むような速度で、美しい和音が夜空に響く。
こんな時じゃなかったら「いい曲だねえ」とか思えたんだろうけど、極限状態・生命危機中になんて聞きたくなかった!
気分は更に焦るし、足が滑りそうさ! ああ、スカートが本気で邪魔だ!

「あんたら! 博麗神社で人喰いする気? やるならよそでやりなさい!」

巫女さんが叫ぶ。
同時に、ばすん!! と音響かせて御札が飛んできた。
それは曲線を描き、真後ろにいた妖怪に、ぺたん! と張り付き、行動を停止させる。

「って、ええ!?」

並走するように、ごろんごろんと転がる妖怪を見て、私の背すじは凍りつく。
本当にすぐ後ろにいたってことじゃないか、これ!
石段を高速で駆け降りながらチラッと後ろを見ると、少女妖怪が宙を飛びながらこっちに突入しようとしてるのを発見した。
遊んでいるみたいに両手を真横に伸ばした姿勢で、左へふらり、右へふらりと舞い、そこからあっという間に私たちの所まで移動する!
凶悪なスマイル、爛々と光る狩猟の歓びが私たちの横を高速で通り過ぎ、目の前で停止した。
なにかこだわりでもあるのか、十字の姿勢のままだった。

「久々の新鮮な――ぶぎゅ!」

んで、進行方向にいるなら踏みつけることができる。また、ちょうどいい位置に顔があったのだ。
私たちは、その黒十字少女を踏み台に、勢いを殺さないで駆け降りた。
――最後まで十字の姿勢だったのは、ある意味すごい。

「あとどれくらい!!?」

蓮子が叫ぶ。
後ろで十字架少女が「おおう……」と言いながら崩れ落ちてた。
撃墜1。
ほのかに満足しつつ、私は階段の先を『視』た。
まっくらで足元もよく見えないけど、その結界だけは輝いてた。
『対妖怪用の結界』。あれは私たちの味方だ。あそこまで到着すればゴールなんだろうけど。

「あと50段くらい!」
「な、なんとかならないの?!」
「むちゃ言わないで!!」

それは、今の私たちにとっては絶望的な数字だ。
後ろからの気配は増え続ける。
巫女さんも奮闘してくれてるみたいだけど、さすがに数が違う。
運命天秤は、刻一刻と悪い方向に傾いてた。

石段の先に、メイドさんが唐突に『出現』し「お嬢様の命により、食料確保!」と叫びながらが襲ってくるし、そのメイドさんを「幽々子さまのワガママにより、労働力確保!」と叫びながら侍の少女が襲撃してる。
はるか後ろの境内では、巫女さんと赤い姉妹と幽霊姫が一大スペクタクルな合戦を繰り広げ、満開の桜の花びら、赤い光球の爆流、幾万もの御札を乱舞させていた。
あちらこちらで少女たちは激突し合い、私たちの後方すべては花火のバーゲンセール中。
閃光が炸裂し、弾幕の余波が辺りかまわず飛び散っていた。

「ううー!」

とにもかくにも、私たちはひたすらに階段を降りる落ちる走る。
できることは、ただそれだけしかない。
まるでカミソリの上を疾走してるみたいな緊張感。
一歩踏み外せば致命傷だ。
頭をかすめる『脳挫傷』とか『頭蓋骨陥没』とかいう単語を無視して前へと跳ぶ。
怖がってるヒマなんて無かった。
着地の痛みも麻痺してる。
そんなものは、後ろから迫るものに押し潰されてる!
足が自動的に前へと進んで落ちる。
ジェットコースターに乗ったときの、あの『お腹の変な浮遊感』がずっと続いてた。
焦るのに足は一向に進まない。
心臓はハイスピードで鼓動を刻んでいた。

「長い! 長すぎるよ、この階段!」
「文句を言わない!」
「でも――」
「!」「!?」

恐怖が爆発した。
転けそうになる体勢を、寸前で蓮子がひっぱり上げてくれた。
その蓮子の手も、冷や汗でじっとりと湿ってる。
――この世のものとは思えない、恐ろしい鳴き声、それが後ろで出現してた。
体ごと振り向いて確かめたい気持ちを殺し、足を前以上に速める。
かん高い、不吉に通る鳴き声が終わり、明るくてのーてんきな声が聞こえてきた。

「ちょっと待ってよ! そこの国産肉に輸入肉っ!!」
「「誰が待つか!!」」

叫びつつ好奇心に負けて、私はちょっとだけ後ろを振り返り――――後悔した。
見なかったことにしたい、できれば現実じゃなかったことにしてほしい。
雀少女が翼をパタパタとはためかせながら、魑魅魍魎を引き連れ、とんでもない速度でこっちへと飛んできてた。
さっきの十字架少女なんかと比べ物にならない。ロケット搭載なのか、ニトログリセリンを愛飲してるのかってスピードだ。

「うわあ!?」

高音の笛みたいな声を上げながら突進する魑魅魍魎の親玉に、私は反射的に持っていた物を投げつけた。
非力な私が投げたそれは、放物線を描いて私たちと怖い鳴き声の少女との間に落ち――

「な、なにこれーーー!?」

……ガスを噴き出した。
投げたのは、あの自販機で最初に買った『独田亞辺派亞』だった。
モワモワ広がる煙の中心では、梵字みたいなのが浮かんでる。それが形を崩した『毒』って字に見えたのは気のせいだと信じたい。
ましてや――

「お買い上げ、ありがとね」
「藍さま! こ、こんなにお金が! さ、さんまが、さんまが何匹……!」
「橙! れ、冷静になるんだ、こ、混乱してはいけない!」

――――耳元で聞こえたこんな声、絶対に空耳だ。
ガスは、まるで生きているみたいに、近くの妖怪たちにウゴウゴ絡みつき、ひも状に手を伸ばして空を飛ぶ妖怪でさえも捕獲してた。

「HOTって表示、あながち嘘でもなかったんだ……」

思わず呟く。

「え、何の話?」
「な、なんでもない」

一応、煙を吐き出すくらいは『熱かった』ってことだ、これは。
実は表示に偽りなしだった。
なにかが間違ってる気は、ものすごくするけど。

(まあ、ともかく)

これでちょっとは安全だ。
追いかけてくる人口密度は圧倒的に減っている。
80円でこれなら、かなりのお買い得だ。
妖怪たちがパタパタ落ちるのを、ちょっとだけ『やーい』とか思いながら、あと少しとなった石段を駆け降りようとして――


――「『逃がさないよっ』」――


・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
目が見えなくなった。
本当に電気のスイッチを消したみたいな唐突さで、視界すべてが暗闇に閉ざされた。
薄暗く見えていた石段、横に生えていた常緑樹、星々と三日月、そのすべてが『消えた』。
耳もとで不吉な曲が響き、夜雀は歌を謳ってる。それが、視神経を断ち切っていた。
足は遅くなる。
一歩着地するたび、全身に怖気が走る。
限界以上の速度だったのが普通に、早歩きに、やがて、ゆっくりと確かめる速度になって、最後には止まった。

「…………」

動けない。
声も上げられない。
動かなきゃ、動かなきゃ捕まっちゃう、それはシャレにならないよ、って思ってるのに、体はその指令を拒否してる。身動き一つできなかった。
だって、目の前がまっくらだ。
一歩さきには『何も無い』。
そんなこと無いって分かってるけど、自分が立っている場所以外は断崖なんじゃないかって思えた。

――救いなのは、後ろで叫んでる妖怪たちだ。彼女たちも目が見えなくなっているらしく、地面に激突する音やら悲鳴やらが聞こえてた。
でも、それだって、彼女たちがもの凄く近くにいるような――まるで、まっくらなサファリパークに放り込まれたみたいな錯覚を私に与えた。

呼吸が、だんだんと荒くなる。
ゴクリと、つばを飲み込む。
私は躊躇しながら、恐る恐る自分の手を目の前に持ってきた。
せめて自分の体だけでも確認したかったんだ。
――――なんにもなかった。
ぼんやりとした輪郭さえ無い、本当の暗闇しかそこにない。
反対の手で触れても感触がなくて、そのまま突き抜けてしまうんじゃないかとさえ思えた。

「――ィャぁ……」

小さな小さな、叫び声が出た。
声は、それだけしか出てくれない。
あとは心の中だけで荒れ狂う。
鼻がツンとした、まぶたが熱い。
うずくまってしまいたいのを、なんとか、最後に残った意志で耐える。
いまそうしたら、もう2度と立ち上がることができないって、なによりも自分が分かっていた。
左を見ても、右を見ても、何も無い。
本当に頭を動かしてるのかさえ分からない。
くちびるが震え、体も震え、言葉が体の奥底からこぼれ出た。

「Ich mochte nach Hause」(私、家に帰りたいよ)

祖母に習っていたドイツ語が、どうしてだか自然に出てしまう。
すがるような、泣いてるみたいな声だった。
何も出来ない、何もしたくない、ここにいたくない。
こわい、こわい、怖いよ!!
指1本動かすのだって、死に直結してる気がしてた。
からだより先に、こころがギブアップを宣言しようとする、その直前――


「あ、メリー、そこにいたんだ」


あっけらかんとした声が、横から聞こえた。

「………………蓮子?」
「そうよ。メリー、そこにいる?」
「う、うん」
「まいったわね、本当に真っ暗闇じゃない。そっちは大丈夫?」

声からは、不安そうな様子はまるで無かった。
私の声と比べると酷い違いだ。

「う、うん。大丈夫、だよ」
「よかった」

ほほえむ気配が伝わる。

「蓮子、そこにいるんだよね……?」
「当たり前じゃない」
「あの、でも、その……」

自分でも、何を言いたいのか、分からなかった。

「ん?」
「え、えーとえーと……」
「――――ああ! そうだ。メリー、ちょっと手、こっちに伸ばして」
「え? こ、こう?」

実感のとぼしい、あるのかさえもどうかも疑わしい、自分の手を動かす。
なぜ、そんなことを言うんだろうとは思ったけれど、問い返す気力も無い私は素直にそうした。
暗闇の中、
見えないまま、
声がする方向へと、闇の中へと手を伸ばし――

――――ふれあった。

「ほら、メリー、わたしはいるよ?」

面白そうに笑う声。
素肌のあたたかさ。
やわらかくて、たしかな感触。
必死に、必死に手を繋いだ。

「ホントに蓮子? 本当に蓮子だよね?」

それだけが不安だった。
これでこの手が別人だったりしたら、もう絶対に立ち直れない。
蓮子と触れあった手だけが、現実との命綱だ。
私が生きているって実感を手にする、唯一のものだった。

「うーん、そうは言われてもね、難しいわよ、その証明」
「ええ、そんなあ……」
「あ、そうだ――――去年の2月ごろ、河童の生存確認のため探索をしていた我らが秘封倶楽部。その途中、わたしはメリーを見失ったことがあったわ。さて、いったいメリーはどこに行ったんだろうと捜してみると、川の方から世にも情けない声がして、メリーが――」
「な!? 蓮子!? わ、分かった! 了解! 了解!!」

な、なんで急にあの時のことを!?

「いやいや、メリーに疑われるのはわたしも心外だからね、やっぱり最後まで話さないと確かめられないだろうし、特にあの時に撮った写真は――」
「いいから! わかった! 間違いなく蓮子さまです!!」
「そう?」

……絶対、今、意地悪そうに笑ってる。
私は確信できた。
あー、でも、この人の悪さは蓮子本人なんだろうなあ。
なんか悔しいけど、ものすごく納得できた。
この会話、このテンポは間違いない。

「もう――」

――繋いだ手を、ギュっと握った。

「さ、冷静になったわね」
「うん……」
「まあ、こんなものは月と星が見えない状態と同じよ。自分を見失わないようにすれば大丈夫」
「そ、そっかな? 足元も石段も見えないし、降りるのも難しいよ、これ」
「慎重に進めばいいだけの話じゃない。なんだったら座ったまま降りてもいいんだし、問題ないわ」
「でも、それは――」
「そ、時間制限さえ無ければ、なんだけどね」

私たちの後ろからは、さっきの雀少女の呻き声が聞こえてる。煙から抜け出そうともがいてるみたいだ。
妖怪たちも、けっこう近くをバタバタしてた。
悠長にしていられる時間は絶対なかった。

「メリー、あとどれくらい?」
「……え?」
「ボケるのは止してよ、あなたから『目』を――『妖精眼』を取ったら何が残るっていうの?」
「蓮子、それ酷い」
「いいからとっとと『視』なさい」
「うー」

意識を集中して、『視』る。
とたんにまっくらだった視界に、青白い『結界』が出現した。

(そういえば、不安で震えるより先に、こうすれば良かったのかな、ひょっとして)

いまさら気づいた。
これは蓮子にボケてると言われても仕方ないのかもしれない。
なんだか、さっきまでの自分を笑い飛ばしたくなってきた。
いやいや私も若かったのう。
――うん、だけれど、こうして蓮子と手を繋いで『視』るだけで、私のこころは途端に落ち着く。それもまた確かではあった。

(――あ、結構もう近いや)

私は、ほっとした。
これぐらいの距離なら、まっくらなままでも何とかなりそうだった。

「蓮子――」

伝えようとした瞬間、ついさっき聞いた、かん高い鳴き声が聴覚をぶっ叩いた。
わたしたちも妖怪たちも、息をひそめてその音を聞く。
とてつもなく禍々しいのに、無視できないほどの美しさがそこにはあった。

「そこかあ!!!」

よろこびと激怒がミックスされた声。
標的を発見した、狩人の叫びだ。
地を蹴る音、空はばたく音も同時にする。

「蓮子! 跳ぶよ!!!」

前後の説明を一切省略して、私は出口に向けて跳ぶ。
蓮子も一緒に躊躇なくジャンプしたのが、繋いだ手の感触から伝わった。
真の暗闇の中を跳ぶ。
上も下も良く分からない。
でも、怖くない。
私はひとりじゃないんだ、隣に友達と一緒にいる。
地面に着地する直前、蓮子に知らせるため、ギュっと握った。
「了解よ」とでも言うように、やさしく手を握り返された。

結界をすり抜け、色と光が爆発する。
私と蓮子は歓声を上げた。
後ろには雀少女がいたみたいだけど、すぐに視界から消え去った。

――地面に着地する衝撃と、背後の『強化ガラスに思いっきり何かをぶつけた音』は、ほぼ同時に響いた。



+++



「…………」
「――――」

中腰の、幅跳び直後の体勢で、私と蓮子は着地してた。
衝撃でジンジンと足は痺れてる。

「は……」
「――あ」

私と蓮子は、顔を見合わせた。
お互い、頭の中は真っ白だった。
ただ黙って、その姿勢のまま固まっている。
しーん、と耳鳴りがするくらい周囲は静か。
さっきまでの狂乱が嘘のような静寂だった。
まだ心臓は暴れてる。
緊張感はぜんぜん抜けてない。
なにもかもが、信じられなかった。

「ふ……ぅ……」

やがて力が抜けてくる。
バイクの、ぶぅ〜ーん、と響く音や夏虫の合唱が脳みそにまで伝わる。
意識が色と音を認識し出した。
『ここがどこか』ってことが分かってくる。
こわばっていた肩が、だんだんと下がる。
全てが終わったことを理解し――


ぷぅ〜


――えーと、その、なんと申しましょうか。
お尻が放つ脱力宣言?
全身の力が抜けて、別のものまで抜けたっていうか。
独特で香ばしい、ほのかな『かほり』が広って行くっていうか。
ああもう、そうさ! 私はオナラをしちゃったさ!
顔が、ものすごい勢いで真っ赤になるのを感じた。
じんじんと熱い。湯気とかも出てそうだ。

そっと横を見ると、蓮子が決壊寸前の顔で耐えていた。
ぷるぷる震えてる。
私はテレ笑いをしつつ言う。

「へへ……やっちゃった」
「あ…………あはっ!」

爆笑だった。
涙まで流して、苦しそうに笑ってる。
蓮子がここまで笑うのも珍しい。

「メリー! 本当にばかっていうか! のんきっていうか! ああ、もう!!」
「い、いいじゃん、自然な喜び表現ってやつさ、きっと!」

笑いの波が伝わってくる。
馬鹿みたいに、おかしさが湧き上がる。
だんだんと、『生き残れたんだ』ってことが理解できてきた。

私と蓮子は手を繋いだまま笑い合う。
追ってた妖怪たちの様子をマネとかをして、また笑う。
お互いに肩を叩き、抱き合って、泣きながら笑い続けた。
それは嬉しさも怖さも安堵も涙も、なにもかも一切合財をまぜこぜにした、化学反応みたいな笑い声だった。

「はあ……」
「ああ……」

しばらくの後。
私たちは笑いつかれて、その場でへばった。
今ごろになって体中の痛みがぶり返してきた。
半死半生とまではいかないけど、満身創痍くらいにはなってそうだ。

「ぷはあ〜」

私は、その場で大の字になって寝転がった。
ちょっとアスファルトがチクチクするけど、夜の湿気は肌に心地よかった。

「ふう……」

ゆっくりと、深呼吸をする。
目を向けると、真新しいコンクリート特有の、少しそっけない夜景が横倒しに広がっていた。
人魂とはぜんぜん違う、人工の白色光が闇を照らしてる。
情緒とか自然とかは少ないけど、つまらないくらい安全な場所。

――これが『現実』だ。
私たちの知っている夜だ。
帰ってくることができたんだ。
実感が、じんわりと湧いてくる。

「――助かった、ね」
「そうね」

私の頭近くでは、蓮子が胡座をかいて座ってた。
自称「探偵っぽい服装」の彼女は、咽元のネクタイを緩めながら「ふう……」とオッサンくさく息をはく。

「再挑戦する?」

この神社の結界を解く事を、という意味だろう。

「むりむり」

パタパタと手を振って否定する。
この結界を解除したら、いったいどれだけの死人が出ることやらだ。
あの『たまには新鮮な肉も喰べたいんだい!!』といった様子を思い返すと、本気でシャレにならない。

「じゃあ――あいつは無視しておこう」
「うん、そだね」

さっきから神社方面でうっすら見える影――パントマイムみたいに壁を叩き、何かを叫んでる――なんかは見えてないことにする。
たんこぶを作って、鳥の羽を背負ってる姿は、間違いなくさっきまでのトップランナーさまだった。
声とか結界を叩く音とかは聞こえないけど、その様子だけで気持ちは伝わる。
へへ、ものすっごく悔しそう♪

「やーいやーい♪」

そっちに向かって蓮子と一緒に、べー、と舌を出す。
命の危険があったんだ、このくらいの仕返しは許されるハズだ。

『〜〜〜〜!!!』

こっちの行動に気づいたのか、壁を叩く威力と回数がかなり激増した。
――ふっ、雀っ子ごときが、この結界を破れるものかぁ!
私が作ったわけでもないんだけど、思わず製作者になった気分でそう叫ぶ。
気分は海原○山だ。
けれど、実際、私が『視』ても、この結界はホンキでとんでもない。いままで『視』てきた中でも最強だ。
もしかしてこれ、日本で一番の結界なんじゃなかろうか?

「あ、アレ、痛そうかも」
「妖怪なら頑丈でしょ、大丈夫よ」
「それもそうね」

結界に叩きつけられた部分だけ、シルエットではなく『生身』として見えていた。
そのため、どれだけの威力で叩いてるのか、けっこう分かる。
そろそろ血とか出ちゃうんじゃないかなあ、と他人ごとのように思える強さで殴ってた。

「あ、弾かれた」
「全力で殴ったみたいね」
「うわ、痛がってる痛がってる」
「自業自得そのものね」
「芸人なら『オイシイ』って言う場面だろうなあ、素人なら単に恥ずかしいだけだけど」
「あれ? また近づいてきたわ……」
「おわ!?」

雀少女は身体全体をペッタリと張りつけ、こっちを睨んできてた。
顔がものすごい変形してる。
微妙に悔し涙とかも流してた。

「うわはは! 蓮子! 写真写真!」
「……撮るのが難しいわね」
「絶対に撮ってよ! これベストショットだ!」

その後も飽きるまで雀少女で遊び、私たちは悠々と帰宅した。





















――これで終ったら、たぶん、めでたしめでたし、皆が幸せだったんだろうけど、この話には言いたくもない続きがある。


次の日、自宅で「うあ〜、身体中が痛いー」とかベットの上でゴロゴロし、時代劇で暇つぶししていたら、蓮子が訪ねてきた。
とんでもなく、真っ青な顔だった。
まるで「あの最後の葉が落ちたら、私も死ぬんだわ……」と世を儚む病人みたいな勢いだ。

「ど、どうしたのよ、蓮子?」
「――――」

青い顔のまま、無言で私の部屋に上がった。
あの暗闇で冷静さを失わなかった蓮子である、クールが身上の彼女の、こんな様子を見るのは始めてだった。
黙ったまま入室し、一つしかない椅子に座って、また沈黙した。

「蓮子……?」

恐る恐る尋ねてみるけど、返事はこない。
唇は青く、肩は震えてた。
私は迷子になった子どもみたいにオロオロした。
蓮子は、ある意味、私の羅針盤だ。
迷った時とか苦しい時に、いちばん頼りになる。
その羅針盤がグルグル富士の樹海だよと迷っていては、私だって冷静じゃいられない。

「――――」

やがて決心したのか、彼女はカバンから写真をとりだし、私に見せた。

「え、えと、見ろってこと?」

こっくり頷く。
すごく真剣な目だった。

「えーと……」

昨日の雀少女の写真だった。
あのまぬけな様子がよく映ってる。

「?」

これがどうかしたのだろうか?
そう思って蓮子を見ると、やはり眉を寄せたまま、写真のある一点をトントンと示した。

「ん?」

見据えつつ、小物入れから虫メガネを捜した。
蓮子の念写能力だけが唯一、私たちの情報源だから、画像を拡大できるものは必須だった。
ごちゃごちゃした中から見つけ出し、どれどれとばかりに『その箇所』を見る。

「――――え――」

ぞわっ! っと背中があわ立った。
部屋が急に暗くなった気がした。

そこには、あの赤い姉妹の、妹の方がいた。
恐らくは普通に写ったものじゃない。
蓮子の念写によって写されたものだろう。
その顔は、近所の悪ガキにそっくりの表情。
『にひっ』とでもいう擬音がしそうな、『こっちが困ることを確信した上で、イタズラをしようとする顔』だった。
もちろん『問題』なのは、そんな表情ではない。
問題は、           ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
そう、問題なのは――――その手に剣らしきものを持っていることだ。
光を束ねた剣は画面の外にほとんど切れ、わずかにしか見えない。けれど、その輝きは写真という媒体を通してさえ異様に映った。

私は顔を上げ、蓮子に向けた。

「お願い、メリー、『視』て――」

懇願するような声だった。
私はつばを飲み込む。
私は慎重に、意識を集中して『視』た。
結界を通り、形骸をすり抜け、光のつるぎを映す。
昔の記憶が走馬灯みたいに駆け巡った、『私』という意識が拡散し、剣と私の端境を『視』る。
映像が浮かんだ――それはハサミ――それは雷光――またたくひかり――密閉された地下――封印された竜――古い血脈の仇花――概念を破壊する概念――
カチリと何かが繋がる。

「これ、『ありとあらゆるものを破壊できる剣』だ」

気がつくと喋ってた。
いつの間にかそうであることを『識』る。

「…………メリーが、そう言うのなら、間違いないのね……」
「…………」

蓮子が鎮痛にそう言った。
ガックリとうな垂れる。
私は、なにも言えなかった。

――とんでもなく硬い結界の前に立つ、すべてを破壊できる剣を持ったイタズラっ子。
こんなの、致命的すぎる。

「蓮子、分かる?」
「…………」

これがいったい『いつ』起こるのか、それが聞きたくて尋ねた。
蓮子の念写は、過去・現在・未来を問わずに写せる。
確かなのは『写したものと関連したものが』念写されるってことだけだ。
つまり、この出来事が過去に起こった事なのか、それとも、これから起こる事なのかは分からないんだ。
蓮子は黙って首を振った。
彼女自身にも不明らしかった。

私たちは黙る。
蓮子の気持ちが分かった。
きっと、ここに来るまででもとんでもなく怖かったことだろう。
『もし』これが今日起こることなら、蓮子はここに来る事さえできなかった。
『もし』明日起きることなら、それは私たちにとっての破滅を意味してしまう。

私は、うなだれる蓮子を抱きしめ、励ますように言った。

「蓮子、きっと大丈夫だよ! あの結界、ものすごく硬かったし、強そうな人も沢山いたし、だから、きっと……」

言葉も上滑りしてしまう。
私自身も信じきれてないのだから仕方がない。







・ ・ ・ ・ ・ ・
5階にある私の部屋、その窓ガラスがコンコンと鳴らされた――――







                                      ――――――――『結界』を『決壊』 終劇(?)