5月31日  エマ4巻(色々なネタバレあります)


OK! これからの時代はメイドさ!
そう! 秘めた恋こそ最先端! メロドラマこそ一番新しい!!
ヴィクトリア朝時代のあの風景、目を閉じればいつでも思い出せる!(注・妄想です)
大きな屋敷で職務を全うするメイドたち! ああ、なんて懐かしい!(注・妄言です)

……すいません、冷静になります。
ちょっと、脳みそへの血流量増加が止まらないnonokosuです。

さて、今回はエマ4巻。
森薫さんの書かれたマンガですが……
ここを見ている人で、まだ買ってない人は今すぐに買いに行きましょう。
メイド、メロドラマ、秘めた恋、抑えた感情描写。このキーワードのうち、どれか一つでも当てはまればいますぐに!
さあ、今すぐにでも全巻、買いに行くのです!(ただ今、朝の7時)

ホント、今回はそう叫んでしまうくらい、良かったです。
派手さを抑えた、品のいい雰囲気が画面狭しと描かれ、また、ウィリアムとエマの感情描写がとても綺麗です。

1〜3巻までは、どちらかというと『メイド』関連のことが中心に描かれていた気がしますが、この巻では二人の心の動きに視点が注がれています。――――いや、まあ、メイド関連もしっかりと描かれてはいるんですが……


前巻までは「ウィリアム、情けないなあ」とか、「なんでもっと反抗しないのだ!?」などとも思っていましたが、この巻で帳消しです。あいも変わらず流されまくりな人生の気はしますが、少なくとも家族を大事にしていること、苦しくとも「紳士として生きようとする」誓いだけは、なんとか果たそうとする様子がよく分かりました。

そして、こうした『苦しさ』を丁寧に描かれているからこそ、二人が再開するシーンはあれだけ印象的だったんだなあ、などと思います。

正装したエマを一目で見破ったウィリアムとか、それにまったく気がつかない妹のグレイスとか、近眼のため、まるで分からなかったのが、ウィリアムが近づくにつれ、だんだんと変化するエマの表情とか。

二人だけで会えて、ようやく流す涙とか――

いまのマンガで、これだけ丁寧に、しっかりとした『メロドラマ』を描いてくれるもの、どれだけあるんでしょうか。
私が知らないだけかもしれませんが、それでもこれは読んでみるべきです。




――えーと、ちなみに、森薫さんのHPに行ってきたんですが……
この人、ホンマもんですね。

親にリアルメイド服を見つけられて苦悩する様子とか、デパートの中でそれっぽい服をした従業員の後を無意識に追いかけたりする様子とかを見ると、うん、この人、ほんっっとうに、遺伝子レベルでメイドが好きなんだなあ、と分かります。

――ちなみに、森薫さんは女性です。



5月30日  火傷記念日


ぬう、昨日、料理をしようとして火傷しました。
パスタを茹でるために、お湯わかすの面倒だな〜、と思ったので、最近、購入した湯沸しポットから投入しようとしたのですが、これがなかなかにまどろっこしい。
あの上から押し、蛇口から出る量だけでは、いつまで経ってもお湯が溜まらない。
なので、ふたの部分を90°開いて、直接どぼどぼとぶち込もうとしたのですが……

……ふたって、外れるものだったんですね。
恐らく洗いやすくするためだと思いますが、そんなことはまるで知らなかったわたしは、ちょうどそのふたの部分をがっちりと掴んで注ぎいれようとしました。
愚かと言わないでください、馬鹿と言わないでください。
そんなことは自分が一番、よく知ってます。

結果は皆さんの想像通り。
ふたの部分が泣き別れ、本体は取り残されてピサの斜塔(リアルタイム)。
ああ、ポットの中身よ何処へ行く。



――咄嗟にポット自体を支えたため、下半身全てが火傷とかいう事態にはならず、被害は手首だけに留まったのですが、いやあ、火傷って甘くありませんね。

その後、患部を冷やす、氷を当てるなど、一連の動作をしたんですけど、
この火傷の痛み、非常にヤな痛さです。
氷とかを患部からどけると、しばらくは平気なんですよ。そして、そのあと、じわじわじわじわと痛みと熱さが増加してゆき、「私の皮膚はホットプレートかー!?」という具合になります。

たまらず氷をあてるんですけど、そうしたらそうしたで、しばらくすると別種の痛みが襲ってくる。
なんて言ったらいいんでしょうかね、「冷たさと熱さの二重奏(?)」ですかね。
ほとんどの部分が冷やされていい塩梅になるんですが、それでも熱のポイントというか、凝縮したものが頑張っていて「俺は熱いんじゃああ!!」と絶叫してる。そんな感じです。


そうして、しばらくそうやってあてたり外したりを繰り返してきたんですが、もう埒が明かなくなって、思い切ってしばらく耐えてみることにしました。
いつまでも氷に頼るわけにもいきませんしね。

――の途端。

おう、待ってたぜ。本番はこれからだ。と言わんがばかりに、熱さ痛さが急上昇。
いままではやはり氷の効果があったんだ、と理解できました。
寄せては引く波のように、痛さがどんどん満潮を目指して上がってくる。

いやはや、「これって拷問とかに使えるんじゃねえのか!?」と心の中で絶叫したくらい、嫌な痛さでした。

音楽を聴いても、テレビを見ても、気がまぎれない。
何をしても痛みが意識の中心となる。
おかげで一日がつぶれましたよ。


――ちなみに、その後に「軟膏を塗ればマシになるんじゃないか?」と思い、実行してみたところ、実際かなり良くなりました。
薬ってやっぱり偉大だなあ、と実感した瞬間。

――さらに、ちなみに、そんな思いまでして沸かしたお湯は、ソースを作る時間とまるで合わず。
結局、普通にお湯を沸かした時と同じぐらいの時間に出来ました。ちくしょうめ。


パスタが嫌いになりそうです。




5月29日  幻惑の死と使徒(森博嗣作品を未読の人は見ない方が無難)




さあ、なんだかこの日記が暗くなりはじめてるので、久々に書評をしたいと思います。

今回は森博嗣さんの『幻惑の死と使徒』!
ひらがなで書くと『げんわくのしとしと』となって非常に間抜けな音になってしまいますが、私はこのS&Mシリーズの中で、この作品が一番好きです。
森博嗣本なるものを買い、その中で『どの作品が一番好きか』というアンケートで、堂々の下位(たしか15位)を奪取したので、あまり共感してくれる人はいなさそうですが、それでもいいんです。
『私が』面白いと思ったんですから。
ええ、それでいいんです。
少数派だからって僻んでませんよ?
アンケート結果をみて「なんでじゃー!!?」とか叫んでませんったら。

ちなみに、一番、推理で関心したのは冷たい密室と博士たち。一番、爆笑したのは封印再度です。これは読んだことのある人なら、ある程度、納得してくれると思います。
ホントに、あれはもう、何ていったらいいのか……。


まあ、前置きはこれぐらいにして、本文感想に移りたいと思います。
こんなことを書いていては、いつまでたっても進みやしない。
まず、何でこの作品が好きなのかなあ、とつらつら自己分析してみますと、要は私にとって一番テーマが納得できて、なおかつ、文章全て――マジシャンが大量に登場するということ自体――がすでに、語誘導するために用意された舞台なんだってことでしょう。
こうした『大仕掛けがありながら主題が一貫してる』小説は、読んでいて気持ちがいいです。

どうも他の森さんの作品は、テーマがもやっとしてるというか、明確になっていない気がするんです。例えば、『封印再度』なんかは、きっと、『日本的な美的感覚』とかそこらへんが作者的な主題だと思いますが、それよりも『嘘』が主題となっている気がしてなりません。
というよりも、途中から推理とか殺人とかどうでも良くなってきた、って部分があります。(笑)

――まったく、あの嘘ってなんじゃい!? もし本当なら続きがどうなるのかすごい勢いで脳内補完していたのに、いったいどうしてくれようか!

いや、まあ、落ち着きます。


では、翻って幻惑の死と使徒の主題は何か? これは、実はとてもはっきりしています。つまりは「物にはすべて名前がある」。もっと簡単にすれば『名前』こそが主題となっています。

名詞が人を規定してしまうという概念。
ちょっといまはもう昔となった「ラベリング理論」とか少し連想しましたが、それでも斬新な、非常に面白い発想だと思いました。

家名、役職、身分、烙印、私たちは非常に多くの『名前』が与えられているのだなあ、とか。
結局は、『名前』のために私たちは生きているのだなあ、とか。

いろいろと現実を振り返って考えさせられました。


そして――この小説で一番印象的なのは、なんと言っても『有里匠幻』でしょう。
彼が死してなお、棺桶と霊柩車の密室から脱出したみせた時の、中から聞こえた台詞――「どんな密室からも、抜け出してみせよう、なぜなら、それが私の名前だからだ」
――

マジで震えが走りました。

架空の人物、架空の物語上のことではありますが、アレはどんなマジシャンがするマジックよりも印象的でした。

あ゛ー、面白さが伝え切れない。
とにかく、一度は読んでみることを薦めます。



――裏表紙にある詩もまた印象的。


消える浮かぶ蘇る
手品師の背後に
影六つ
翻る軽羅の啓発に
金箔の神話が息を吹く
「出でよ天空のエロス」
「瞑して我が名を唱えよ」




5月28日 ふと思ったこと



いわゆるジェンダーフリーが小学校とかの教育に普及してるって話を、どこかで見聞したことがあります。
出席番号順を男女の別なくしたり、席を男子の列、女子の列と分けずにごっちゃ混ぜにしてるやつです。
私自身は、このことに賛成ですし、どんどんするべきだと考えています。しかし、ふと、思ったことがひとつ、「これって理念として欠点があるんじゃなかろうか?」。

よく、こうしたジェンダーに関わる人の主張に、「男女の区別をすることなく、人間としてお互いに尊敬できる関係を作りたい」ってのがあります。
うん、言いたいことは分かるし、大方、正しいのだと思います。
しかし、そうしたことを主張する人たちに聞いてみたいのが「あなた達は全員、同性愛を認めてるのか?」ということです。
男女間の友情を認める、もしくは、人間として互いに尊敬をするべきだと主張するのであれば、愛情だって認めないと嘘になりますよね。

友情や尊敬はいいけど愛情は駄目なんて、主張としてちょっとおかしいし、徹底されていないように感じます。

男女の別なく、人間としてすべての個人を扱うのであれば、そこに友情が芽生えても、愛情が芽生えてもおかしくないって理屈になりますよねえ。


繰り返しますけど、ジェンダーの理念自体は正しいと、私は考えます。
でも、そう主張する人たち全員が、同性愛を認めるくらいの覚悟を持っているかどうか、これはちょっと疑問に思っています。

恐らくは、ジェンダーの問題と同性愛の問題っていうのは、切り放して考えるのは無理なんじゃないだろうかなあ。
そこを真剣に考えている人って、どれくらいいるんでしょうか?


ちなみに私は、同性愛の問題に関しては、『自分の関係ない場所でなら認める』という、非常に都合のいいこと考えてます。
正直、そういう対象になるのもなられるのも、友達や家族の誰かがそうであることも、ちょっと勘弁して欲しいってのが本音です。

これはもう、きっと理屈じゃないんですね。
偏見、差別というのは、本人の意識より、さらに深くに棲みついているから、厄介なんです。



5月27日  納得いかない数字


こめ
米国の大統領、支持率は現在、47パーセントだそうです。
ふむ、47ぱーせんと。
あれだけ国際世論と真っ向から反対し、いかにも「俺のものは俺のもの、世界のすべても俺のなんじゃい」というジャイアニズム満載で戦争を強行したはいいが、大義名分として掲げた核兵器もなければ生物兵器製造場も見つからない。
最後の御旗の民主主義も、結婚披露宴中を爆破するわ、虐待を尋問の方法に取り入れるわで、ポッキリ折れてる。

その上で『大統領を支持する人』が全体の47パーセント。
ほう、そうですか、そうなんですか。
関心ですな。

攻撃されたらあれだけ騒ぐのに、自分たちが同じことをする分にはまったく頓着しないし、無関心なんですね。
9・11に起きた出来事をもう一度されるのはごめんだけど、自分たちがする分には構わないんでしょうか。(そもそも、イラクとアルカイダって関係がなかったっぽい、戦争理由に微妙に絡めてたのに)
それと、何故、自爆のカミカゼアタックをしようとしたのか、理解しようとする人たちって、いるんでしょうかね?
熱狂が冷め、冷静になれた今だからこそ、再発を本当の意味で防止するために、過去を検証するべきだと思うんですけど。


大統領を支持する理由、一体、どこにあるんでしょうか?


もし、これが日本だったら、とっくの昔に首になっていることでしょう。

年金問題で「首相は辞めるべき」なんて言ってるのを見ると、あまりのスケールの違いに悲しくなってくる部分もありますが、それでも「不祥事は不祥事である」と言い切り。情報開示と民主主義がきちんと成されようとしていることは、少なくとも某国よりも政治的に健康です。

もっと言ってしまえば、『情報開示だ!』などといいつつ、自分たちにとって都合のいい情報しか流さず、微妙に世論を操作しようとしてる国なんぞに比べたら、比較すら論外です。前の湾岸戦争なんて、特に酷かったみたいですね。勉強してびっくりした。







――――ちなみに、『イラク戦争を支持する人』自体は、31パーセントなんだそうですが……これもなんだかなあ。
『三割もの人がまだ支持してる』ってのもあります。
ですが、会戦当初はイラク戦争賛成派が58パーセント、反対派が35パーセントだった、といことがすごく引っ掛かっています。

だって、もし、もろもろの問題が起きなかったら、上手く統治が出来ていたのなら、いまでも半分くらいの人が『現代・民主主義国家でも他国を占領・統治してもいい』と考えるてるかもしれない、ということです、この数字は。

なんじゃ、そら、って気分ですよ。



5月26日  『萌え』の定義


えーと、日々、日記に分量が少なくなっている気がして仕方がないnonokosuです、皆様いかがお過ごしでしょう?

さ、今日は二次小説サイトらしく『萌え』の定義についてです。
まあ、先に結論を言ってしまうと、「そんなもの定義できない」というのが本当でしょうけど、ちょっと個人的に思ったことをつらつらと書いてみます。

そもそも『萌え』という言葉がいつごろから使われるようになったか――パス!
すいません、いきなりパスします。
正直、知っても知らなくてもあまり関係ないですし、諸説入り乱れてどれが正しいのか分からないのが現状のようですので、ここではあえて触れません。

さあ、続いて『萌え』の定義です、いきなり本題です。
前置きもなにもあったものじゃありません。

――これは私見が許されるなら、「一度せき止められ、その後、決壊した感情の流れ」、だと思っています。
ちょっと分かりにくいので、例として、妹キャラに対する『萌え』としましょう。

妹キャラに対して萌えてしまうのは社会通念・一般常識が許さないので、それが意識的なものにしろ、無意識的なものにしろ『歯止め』がかかります。つまりは「おいおい、身内に萌えていいと思ってるのかよ?」という自己ツッコミが入るわけです。
しかし、その後、ストーリーが進むにつれて、そのキャラに感情移入を始めます。
健気な様子や一途な思いに、こっちの気持ちがぐらぐら揺れてしまうわけです。
「手を出したい、いや、駄目だ」、と自己ツッコミから葛藤へと変化する状態です。この場合はまだ社会通念が勝ってますね。
そして、この後、ついに結ばれる段階となって「妹に手をだしちゃいけない? ハッ! そなこと知ったことか! そんなことを誰が決めた! 俺はこの愛に生きる!!!」となり、周囲が手出しをできないオタクの世界に足を踏み入れるわけです。つまり社会通念という名のダムが決壊するわけですね。

流れで言えば「駄目に決まってるだろ? なに言ってるんだよ、はは」段階→「う、そんなことまでするのか!? い、いや、でも駄目だろ、ウン」段階→「壁がナンボのもんじゃい、俺はっ! 俺はっっ!! 萌え上がるっ!!!」段階まで、って感じですかね。


この一連の流れは、なにも妹に対するものだけではなく、ろりなキャラやお嬢様なキャラ、先生、生徒、身分差、その他、ありとあらゆる『社会通念の外にある関係』に対して適応されます。

俗に言う、『禁止されるほど燃え上がる恋』――というとちょっとかっこよすぎですが、まあ、そんな感じのものではないのかなあ、などと考えてます。



……考えてみれば、案外つまらない結論ですね。
こんなことは、昔から『身分の差』とかに代表される物語で、そのまんまあるじゃないですか。

身分の差がリアルに感じられなくなって、その代わりとして数々の『萌え』が生み出された、って事でしょうか?
良くある、ヘンに文化人ぶってる人間の考察みたいで、かなり嫌なんですが。



まあ、とにもかくにも、
――『一度せき止められた感情』の爆発は、通常よりも、はるかに強烈な印象と感情の昂ぶりを私たちに与えてくれる。
この考えが、現在、nonokosu内における『萌え』の定義です。


5月25日  56万円の飴玉


ネタ的にまた似たようなものですが、気にせずいきましょう。
どうも庶民なせいか、こういった『規格外な値段』に惹かれやすいようです。

さて、この飴玉、当然のことながら普通の飴玉ではありません。
飴自身の値段は、オークションによって落札されようとしている値段です。

――そう、この飴は、いわゆるコレクターズアイテムと呼ばれるやつです。
そうした相場は分からないのですが、飴一個でこれだけの値段がつくのは、結構珍しいのではないでしょうか?
むろん、これには理由があります。

まあ、ぶっちゃけ、出展者が賢かったんでしょうね。
当初、この飴玉は「シュワルツェネッガー州知事のDNA」として出展されました。
シュワちゃんが舐めたもの→その唾がついてる→つまりDNAがついてる! ってな論法なのでしょう。

一度は「人体の一部」は出品できないと、オークションから登録を取り消されてしまったようですが、コレクターズアイテムとして再出品。ネットオークション上で争われてる模様。


5月24日   ネット教会


ども! ちょっと日記さぼってたnonokosuです!
春眠は暁を覚えませんね〜(謎)。

今回はネットで教会が出来たという話題。
ネタ元は、またしてもCNNのネットニュースからなんですが……。

……宗教関係は、下手なことが書けないので怖いですね。
別段、この弱小サイトなら問題ないとおもうのですが。自分で一度書いたものを読み直し「うわ、ヤバっ!」と思わず叫んでしまったので、実はこれ、二度目の文章です。


さて、英国のとあるキリスト教団体が作った、このネット教会、サイト名は「愚か者の教会(チャーチ・オブ・フールズ)」――サイト名だけで、喧嘩を売られてる気がするのは、俺の気のせいでしょうか?――なのですが、かなりの人気があるようで、初日に1万2000人、ピーク時には3万もの人が来たそうです。

ノリとしてはネットゲームに近いものがあるようで、キャラを自分で作って教会内で自由に話し合ったり、お祈りできるシステムのよう。
近頃深刻な、『教会離れ』対策のひとつと思われますが、なかなか面白い考えです。

別に宗教は、どんなものも信じてない人間ですが、このネット教会ならば少し行ってみたい気になりましたし、なにより一度は覗きたくなります。
宗教に興味の無い人間に「行ってもいいかな」という気分にさせる、これは結構すごいことです。
それに、こう言っては悪いですが、キリスト教というと『固い』というイメージがどうしてもありますし、こうした『現実に対応しよう』という考え方は嫌いではないです。

――ただ、このネット教会、一度、ダウンしています。
原因は、別に人が入りすぎたとかそういうことではなく、「悪魔」が登場したため。

もちろん本物の悪魔が来たわけではなく、クラッカーが聖職者に成りすまし、その時に名乗った名前です。
この『悪魔』、普通はなれない聖職者へと偽装し、礼拝に来た人に悪態をつくなどをしたようです。
まじめに礼拝をしようと思ったら聖職者から罵声を浴びせかけられる……
……確かにこれは問題ですね。(笑

他にも人種差別的な名前をつけたキャラクターが登場するなどが起きたため、これらに対応するために一時公開を休止していていたそうです。(今は復旧してる)


あ、このサイトは3ヶ月だけの試験運用だそうですので、興味のある方は今のうちに。
私本人はまだ行ってないのですが……。(笑


5月20日 GOTH(ネタバレ含みます)


書評、第二回は乙 一さんのGOTHです。
乙 一さんの本はどれも好きなのですが、このGOTHが中でも一番好きです。
独特の、透徹しきった視線、って言ったらいいんでしょうか。
何もかもを放り投げたような場所から見てる視線が、とても変で、同時に心地いいんです。

特に変な部分としては、主要キャラの一人、語り手となっている人物が、『犯罪者を断罪しない』。
ほとんどの犯罪、猟奇事件を見逃します。警察に届けるなんて論外、推理をしても犯人に、こうじゃないかと語るだけで終ります。
容疑者を集めて推理を披露とかは、まったく無いわけです。
それどころか、中には犯人の犯罪を後押しをするものさえあります。

また、同時に心地いい部分としては、法律もモラルも偽善もなく、彼らがただひたすらに『犯罪を見る』のに徹していること。
通常であれば嫌悪感を持つような行動なのですが、犯罪者側が生々しく、生理的に嫌な猟奇事件を起こしてくれるので、この視点が逆に緩衝材、清涼剤の働きをしてくれます。
凄惨で陰惨な事件も、彼ら登場人物たちが、『人間の暗い部分に惹かれ、見ようとする』スタンスだからこそ、読者も引き込まれてしまうわけです。






(以後、ネタバレ含みます)


……えー、というわけで、本の内容自体には不満はないのですが、この本の解説、もしくは別のところで書かれた文章に引っ掛かりを覚えてます。(いま、手元に発見できてないので、確認とれず)
そこで「主人公の最終目的は、森野夜を美しく殺す事だ」みたいな内容を書いてます。
正直、この部分で「おや?」と思ったんです。
なにか、直感的に納得できなかったんですよね。

主人公が森野夜に向ける感情、これが同類意識みたいなものでないことは分かります。文中でもはっきりと「違う」と言い切っていますし。
では、ある種の殺意なのかというと、これも違う気がして仕方無いです。
リストカット事件で主人公は森野夜の手首を欲しがります。
理由としては『リストカットした手首が欲しかったから』。

このフェティッシュな、『物として所有したい』という感情こそ、主人公がヒロインである森野夜に向ける感情なのではないか、そんな風に仮説を立ててます。


――まあ、殺すという感情にせよ所有したい感情にせよ、主人公がそれを何故しないのか、その部分が上手く説明は出来ないんですけど――

似非読み手としてはこんなとこが限界です。



 



5月19日 11万円のオムレツ


じゅうぅいちまんえん。
日本円で11万ですよ、奥さん! 
オムレツ一品で11万!!
もっと言えば1000ドルだから、約11万4000円!
黄金伝説の一ヶ月一万円生活とかしてたら、一年暮らせますよ!?
濱口だったら2年以上いけるんじゃないか!?

……スイマセン。落ち着きます。
我を忘れる値段だったので、取り乱しました。
えー、ネタ元はCNNのネットニュースです。
売っているのは、米国、ニューヨークのホテル。

高値の原因はたっぷりと入ったキャビア。
入ってる量は10オンス分、グラムで言えば83.5グラムだそうです。
ちなみにこのホテルでは、キャビア1オンスにつき約7400円で購入していると書いてありました。


外見予想としては、黄色いオムレツの中に、真っ黒なキャビアがこれでもかと詰め込まれてる、って感じでしょうか?
一口、食べれば卵のふんわりした食感とキャビアのしょっぱさが絡み合う――――


………………
マズそうと思ったのは、俺だけですか?

普通に食えないほど、塩辛い気もします。
卵にキャビアという取り合わせも美味くなさそう。

これだったらどっちの料理ショーで出してくれる、厳選素材使用のオムレツの方が確実に食べたいです。

ちなみに、このオムレツ、まだ一個も売れてないそうです。
お米の国に行く用事があれば、是非どうぞ。



――って、いま確認に行ったら、売れてましたね。一個だけ。
イギリスの記者が、取材も兼ねて食べてやがります。
シルベスター・スタローンも食べようとして断念ってのもありましたが、あんたら正気か。

予想と違ったのは、具材としてではなく、完成したオムレツ上からどばどばキャビアを乗っけていた点。
具ではなく、ソースみたいな感じで使用してますね。

予想通りだったのは、やっぱりとんでもなくしょっぱかったらしいこと。
まあ、当たり前といえば当たり前。
作る前に気づけと言いたい。


巨大オムレツの上に、10オンスのキャビア。
うーん、やっぱ、食いたくないです。





5月19日  驚愕の上野駅


今朝の新聞を見て思ったこと。
「上野駅って浮いてたんかい!?」
多少なりとも使ったことのある身としては、ちょっとこれ、すごいショックです……
まるで聞いたことが無かったんですが、有名なんですかね、この話?

えーと、新聞記事を見てみると、以前は駅よりも38メートルは下にあった地下水が、その地下水のくみ上げ規制が出来たために、どんどんどんどん水位が上昇してゆき、いまとなっては駅の地下二階部分まで水が来ている、とのこと。

――地下三階。すでに水の中なんだね、本気で。

しかも、「浮き上がるのを防止するために錨を650本も打ちこむ」って、まんま、船の発想だろ、これ。
読んだ時は、あまりに『駅』離れたした考えに、ツッコミを入れる気力さえ無かったです。
新幹線すら通ってる有名な駅が、そんな不条理なところに建ってるんだなあ、とただ感心してしまった。


――でも、こう、男のロマン(馬鹿な発想とも言う)としては。いっその事、上野駅が合体変形して船として発進しないかなあ、などとも思ってしまう。
どうせ浮いてるんだし、そこまでしてくれなきゃ。


「上野駅、変身完了いたしました!」
「よし、総員対ショック体勢をとれ! 出発進行っ!」


または、


「えー、本日は上野駅にお越しいただき、まことにありがとうございます。当駅は、えー、これから変形、いたします。お近くの手すり、床などに掴まり、急浮上に耐えてください」


……すごい乗りたいかも。

周囲に海は無いしやっぱり行き先は宙(そら)か!?

 

 

 



5月15日 光の帝国


栄えある第一回の書評は、やはり、一番好きな作家。恩田陸さんです!
いやあ、マジで大好きですね。
すくなくとも、この「光の帝国」と出合わなければ、ここまで活字の世界にのめり込むことは無かったでしょう。
エンジェルエッグ以来の大ヒットでした、個人的に。

内容的にはSF、になるのかな?
文末の解説にも書いてありますが、「光の帝国」なんて大げさな名前のために、壮大な戦争ものと思われがちですが、そんなことはございません。
とても穏やかで品のある、日常に根ざした物語です。

「常野」という能力を持つ一族を様々な角度から、多くは一般の人との交流を通して描いています。
そして――これが私の評価している理由の一つなのですが――能力を持った物語にありがちな、『特殊能力があるだけでエライ』といった雰囲気が微塵もありません。

むしろ、能力を持つが故の苦悩する姿や、どうしようもない流れ・運命を中心に書かれています。

「常野」という一族名自体も、「常に野にあれ」という、意味です。
野にあり、生活を送るからこそ現れる矛盾や苦悩、それをとても優しい視点で描かれています。


さて、実は不満もあります。
それは「物足りない」。
どーしても、続きが読みたくなるのですよ。
連作短編ではありますが、それぞれに登場人物も能力も背景も違う、ほぼ独立した物語です。(もっとも、いくつかはリンクしている)
つまりは、「常野」という一族を、多面的に描いているわけですが、――これが、どうも、なんと言ったらいいんですかね。長編のプロローグだけを集めた印象、と言っていいんでしょうか。
「この先、この人物でストーリーが続かないんかい!?」と思わず叫んでしまうような、ある意味では非常に勿体無いネタの使い方です。
出てくる短編のうち、いくつかは、確実に長編で書ける素材すらあります。

ネタの量だけでいえば、この一冊で三・四冊くらいの量は確実にあることでしょう。
なんて素晴らしいコストパフォーマンス!(意味が違う)

とにもかくにも、絶対にお薦めの一冊です!