・日々考




7月31日  HUNTER×HUNTERの黒


前の回くらいから、このマンガ、残酷描写に黒塗りがつくようになりましたね。
本人が規制してるのか、編集部が規制してるのか、外部からの圧力があったのかは分かりませんが、見ていてものすっごく
見にくい・邪魔だと思ったのは私だけでしょうか?

日本は欧米に比べて、こうした残酷表現、ポルノ描写に寛容でしたが、ついに『規制の波』とやらが来たんですかね。

うーん、私としては、こうしたことに関する規制はやるべきではない、と常々思っていたんですが、世の中、そう考えない人間が多いんでしょうか。


……こうした規制をバリバリに敷いている欧米の方が、少年犯罪の発生率・検挙数も膨大に多いんですがね。それを日本がマネしても、あまり良い結果には繋がらないと思えるんですが……
とういうか少年犯罪に関して、政策を失敗してる国を参考にしてどうするんでしょうか?

モトネタを記憶してはいないんですが、とある国(確かヨーロッパ方面)でポルノに関する規制を取っ払ったところ、当初は「青少年の犯罪を促進してしまう」と予想してたんですが、現実の結果は、むしろ少年犯罪は減ったということでした。
こんな出所もはっきりとしないものでは断言できませんし、むしろ、逆の結果となったところもあるんでしょうが、少なくとも『出版物の規制をする=犯罪率は減る』なんて、誰にも言い切ることができません。

なにせ『マンガ・出版物が原因で犯罪に走った』人は把握できるかもしれませんが、『マンガによって不満解消をされ、犯罪をしなかった』人の人数は把握できないですからね。



――犯罪は、良くも悪くも社会全体の責任であり、一つのことだけに原因を帰結することはもはや不可能です。分かりやすいスケープゴートを祭り上げ、全ての原因を押し付けるのは前世紀の呪術と同じです。
法も科学も判然としなかった時代では、天災やら不幸を『関係あるかどうかも分からない一人』になすり付ければ終わり、それが『合理的な安心を獲得方法』だったんでしょうが、現代にそれをしても、社会を歪ませるだけな気がします。



7月30日  スーダン2


ようやっとスーダンに関連したことが、報道され始めましたね。
26日には朝日が社説で言及。
28日にはアメリカがスーダン政府を非難。
国連が制裁や派遣を
検討――

……私でさえ、知ったのは今月の初めだぞ?
報道もしない、非難決議でさえ一ヶ月もかかるってのは、どういうことでしょう。
対応が遅いどころの話じゃないです。


スーダンでは、これまでに1万5000人から3万人が殺害。
120万人以上が家をなくしてしまったそうです。

死者の数で言えば、日本のちょっとした郡が全員虐殺されたくらいの数。
家をなくした人の数で言うと沖縄県に住む人全員が、突然、家を失ったのと同じ程度の数です。

沖縄を比較に使ってしまい、住んでいる人に申し訳ないですが、少しは『どれだけとんでもない数なのか』というのが理解できると思います。

私自身も「120万人も路頭に迷ってる」といわれるよりも、「沖縄県に住む人と、同じくらいの人数が路頭に迷ってる」といわれた方が、まだピンときます。




……とりあえず、もう遅いのかもしれませんが、スーダン虐殺についてのリンクを張ります。
これは、Sudanというキーワードを、スーダン政府よりも虐殺について語っているサイトを上位にすることで、圧力を掛けようとする運動です。
Googleの持つ『リンクが多く張られてるほど検索結果が上位にくる』というシステムを利用したものです。
これ↓がそうです。

Sudan


できることを少しでもやりたい、って気持ちはあるんですが、個人でやれる運動といのはなかなかに少ないですね……



7月28日  ぷちスランプ中


ぬあ、書けない。
よくあるスランプなんでしょうが、書くことができない。
気分が乗らない。

まあ、しばらく放っておけば直るとは思いますが、テンション落ち込み気味です。

――とかいいつつ、某所に投稿とかしたんですが、まあそれはともかく。


見つめなおし作業をしつつ、今日は『nonokosuのssの書き方』でも書こうかと思います。
「そこまで言うほど上手くないだろ」と言われればそれまでなんですけど、まあ、どちらかといえば『文章書いてる時の雑感』と言った方が正しいですかね。


とりあえず、基本はアイディアです。
思いつき、妄想、電波と言い換えてもいいかもしれません。

私ら素人は文章の上手さなんて期待もされてませんから、この『アイディア』が一番の重要なポイントでしょう。
これが面白ければ、そのssは成功を半分以上、約束されています。

アイディアの作り方は千差万別。
コレとコレを混ぜたら面白そうだとか、この時にもし違う道に行っていたらどうなってただろう? とか、いろいろありますね。

ただ初心者の場合、けっこうお薦めなのが『他人のssの欠点を捜す』ことです。
――なんだか自分で書いてても、ものすっごいヤな奴みたいですが、キチンと理由があります。

伊藤家の食卓で見たような気もするんですが、誰かのモノマネをする場合、本人を参考にするよりも『モノマネをしてる人を更にモノマネする』方がやりやすいそうです。

デフォルメされた動きは、本人よりも特徴を捉えやすいってことなんでしょう。

同じように他人のssは本物よりもマネがしやすいです。
ただ、そこから単純にマネするだけでは三次創作になるだけですし、あまり面白くなりません。
ですから、そこから『欠点』を捜し『じゃあ自分ならどうするか』と考えるんです。

安易に思えますし、他の人が同じssを見て同じように考えるんじゃないかとかも思えますが、案外、それはありません。
『このssが、こういう場合はどうなっていただろう』という想像は、意外なほど個人差が出ます。
もちろん、これをする場合は『原形が分からないほど変える』のが最低条件です。
それをしないでおくのは、ただのパクリです。



――具体的に例を挙げてみると。
私の拙作、『残るもの 残されるもの』がつまらない、と思ったとしましょう。
何が面白くないかはともかくとして、シアが気に入らないと考えたとします。
ならば、彼女のキャラクターを正反対にしてみるんです。


シアの特徴――

獣っぽい 長髪 好きな人を喰う、だんだん女の子っぽくなる


これを正反対にすると。

理性的 短髪 拒食症 だんだん男の子っぽくなる

となります。
これは、どの要素を抜き出すか、どう正反対にするかによって当然、異なってきます。

更にニ・三追加要素を付け加え、予想できる特徴を想像すれば(理性的→めがねをしてるか? どういう理由で男の子っぽくなるんだ? など)、あなただけのオリキャラが誕生します。


私は現在この方法をとってはいませんが。(本当ですよ?)
ネタ作りの練習にかなりなります。
どういうものが『自分にとってつまらない』のかというのも意識できますしね。




――まあ、色々書きましたが、要は『自分が楽しいと思えるものを作る』。
これが一番簡単で、一番難しいんじゃないかと思います。

『みんな・大勢が面白いものを作る』わけではなく、『自分が、自分ために良いものを書く』。この差は結構微妙ですが、かなり重要です。

『人が面白いと言うであろう小説』と『面白い小説』はイコールではありません。
少なくとも書き手にとっては明らかに異なります。



アイディアで言えば、『私自身は面白いと思う、でも、人は面白いとは思わないだろうなあ』というのが、実は『いいアイディア』です。

――他人のことなんざ知ったこっちゃない、俺は俺の面白いと思えるものを作る。
口は悪いですが、こう思いながら作った方が、下手に何かを考えるよりもずっといい結果になると、(今のところ)考えてます。


――まあ、実行するのが、かなり難しいんですが……





7月22日  恐竜をめぐるアレコレ



意外と知っているようで、実は知らないもの、それが恐竜です。
有名ですが、まず、色が知られてません。
図鑑とかで乗ってるのは、あくまでも『想像図』でしかないわけです。

まあ、草食動物であれば、ある程度は保護色を選択するだろうとか色々あるらしいですが、残っているのは骨オンリーなので色素なんてまるで分からないわけです。


次にもっと有名なのは『絶滅原因の謎』
一般的には隕石だと言われてるみたいですが、これも色々と疑問のつきないところです。
その当時、隕石が落ちたのは確からしいですが、それが絶対的な原因と決め付けることはできません。

というかですね、恐竜は実は恒温動物だったという説が強くなり始めてます。
トカゲやら爬虫類の変温動物が生き残っているのに、なんで恒温動物の恐竜が『全滅』しなきゃならんのだ? ってな疑問も生じてます。

また、放射能の測定などによると、絶滅時には結構な噴火も起こっている様子。
草食恐竜の主食だったシダ類や裸子植物が、被子植物に追いやられてるのもこの時期。

――何が正解なんだかまるで分かりません。



ちょっとマイナーなのになると、『ティラノサウルスが腐肉食者(スカベンジャー)だったかも』というのがあります。
あの口が大きく手が短いという形態は、すこし考えれば分かりますが、決定的に狩猟に向いていません。
ライオンでチーターでもアノマロカリスでも、『襲った相手を逃がさない強靭な腕』を持ちます。無くとも鮫のように強靭な顎という『捕獲手段』を持つはずです。

ですが、ティラノサウルスは手は短いわ顎もそんなに強く無さそうだわで、あまり狩猟者としての資格をもっていないのです。生き物は意外なまでにしぶといですから、『一撃必殺、初撃で終わる』なんてことは現実には起きにくい。
あの大きな口は、むしろ、『地面にある、死んだ恐竜を食べるため』にあるんじゃなかろうか、と考えられるわけです。

――この説は恐竜ファンの間で絶大な不人気を持ちますが、事実ってものは、案外こういったものなんじゃなかろうか、って気もします。



あとは、恐竜は立てなかった、てな説もあります。
私もテレビで見ただけなので詳細に知ってるわけじゃないですが、『足についている筋肉量と全体重の対比』、これをまじめに行うと、なにをどう計算しても『立つことさえ出来ない』恐竜が出現するらしいです。


恐竜などと言っても、珪素生物とかで無い以上、筋肉の働きそのものは、私たちとあまり違いは無いは無く。
蛋白質やらアミノ酸で出来た物質は、おのずと力の上限を持ちます。
つまりは、筋肉的に考えると、恐竜は『計算上は立てない生物』なんです。


とはいえ、「そんなこと言っても実際に発掘されてんじゃん」と言う人、いると思います。
実際、私はテレビにそうツッコミました。
足跡の化石なるものが現実にある以上、なにか私たちの知らない理由があるだけだと。



――ええ、ありました。
私たちの想像をはるかに棒高跳びする説が。

それは
太古の地球は重力が軽かった、ってな説です。

この筋肉量では立てない? なら重力が軽かったんだ!
という、素晴らしくアッパー系な解説をしてくれます

重力変化の理由としても月が今よりも接近してたからとか、自転の回転数が多かったからとか、
物理法則が少しばかり違っていたとか、いろいろと面白おかしい原因説明をしてくれますが、まあかなり、というかほぼ完全にトンデモな説です。




この辺は、とある宗教団体の原理主義・根本主義に近いものがあるなあ、という気がします。
ちなみに、原理主義・根本主義とは『聖書は正しい、絶対に正しい、間違ってることなんか書いてないんだい!』という考え方。

1,000年単位で昔の本なんですから、当然、間違いはあるはずなんですが、それを認めようとはしません。

恐竜に関しても『肉食恐竜はいなかった』とか『化石も神が創って埋めた』とか、ヘンな方向に偏ってます。

彼らのとってはまずはじめに『聖書が正しい』という前提があり、そこから全てが派生していくので、色々とおかしな具合になってます。






――太古のロマンをかき立ててくれる存在、恐竜。
それを表現しようとしてたはずなんですが、ふと気がつくと、どーも、UFOと似たり寄ったりの立場として書いてるような?
まあ、気にしないでください。←無責任。





7月21日  tugumi


書評です。
今回は言わずと知れた吉本ばなな先生のtugumiです。
キッチンも好きですが、個人的にはこのtugumiが、著作の中で一番、好きです。

病弱で色白で美人で、それでいて口の悪さも悪戯も天井知らずなんて人物造詣が、私の駄目な琴線にヒットした、ということもあります。
主人公である『まりあ』がやっと帰郷したのに、つぐみの第一声が、
笑顔で「おい、ブス!」ですからね。
私みたいな人間は、この時点から最後まで読むのを止められませんでした。

難しい表現を使っているわけでもないのに、情景や心理描写がとんでもなく綺麗です。
印象的というだけではなく、見たことも無い光景に共感しきってしまいます。
読んでから時間が経つのに、いまでも文章中の『風景』を鮮やかに思い出すことができますしね。

日本の夏と夜と海とを凝縮し、死というエッセンスで割った作品。
透明で、綺麗で、文章なのに透き通るというイメージがあります。

というか、書いててもの凄い読み返したくなってきました。

私の本読みとしての基礎を作ったものの一つです、間違いなく。






――あと、子どもの頃に、『大人になったら絶対に〜してやる』とか思ったこと、誰でもあると思います。
もうほとんど忘れてしまったそれらですが、その中の一つに、『将来、この文章のモトを絶対に見つけてやる!』というものがありました。

たしか、小学生の時、塾で国語の問題として出された文章がこの『tugumi』でした。
その時に偉い感動したんですが、一部だけしか表示されておらず(まあ、当たり前ですが)、子どもな私は『大人になったらこの本を読むんだ〜!』とか考えてました。

――それならその時、著者とタイトル控えておけと、今の私は言いたい。


その後、しばらく経ってから、吉本ばなな先生の『キッチン』に出会い、どんどんと著書を読む進めて行く中で出会ったのがこの『tugumi』です。
どれだけ驚愕したか、分かってもらえるでしょうか。

生き別れた兄弟と出合った、と言ったら言い過ぎですが、とりあえず奇声を上げて神に祈りたくなったくらい驚きました。

しかも、該当箇所が本の後半に近いところ、tugumiの世界に没頭してる時に出合ったものですから、もう大変なことに。家で読んでて『お前かよ〜!!!』とか叫びました。まじで。


いやはや、『子どものころの夢をかなえる』――私の場合はものすごいちっちゃなことですが――それでも、それを叶えられたという経験は、何事にも代えがたいものです。





7月20日  一体、何が……?



うーん、一体、昨日は何が起こったんでしょう?
常時200前後なサイトに、突然、700オーバーって……

以前にも、こんな事が一回ありましたが、その時も原因不明。
どこかリンクしてくれたのかなあ、などと思ってたのですが、特に引っかかりませんでしたし。

これは、アレですかね。アクセス解析とやらをした方がいいんでしょうか。
無料だと広告が付くらしいので嫌がってたんですけど、この『推理小説、謎解き無し』状態は居心地が悪いです。
不必要だと信じて疑わなかったんですが、こんな不利点があるとは盲点でした。

ある意味、トリビアです。恐らくは無駄な情報なのに知りたい。
リンク、では無いんだろうなあ、今回も。
Googleも、零細サイト相手では、実力を発揮してくれません。
謎が謎を呼んで謎で終わります。


――本当に、これが更新日だったら、素直に喜べるんですけどね。




あー、というか、もう2万ヒットなんですね。
少しびっくりです。

ここ最近は更新が滞っているのにありがたいことです。

私自身はキリバンが
だいっ嫌いな人間なので、特になにも募集もしてないんですが、10万まで行ったら何かしようかな、などとは考えてます。
一つの区切りとして。

……あ、ちなみに私はキリバンを企画するのが嫌い、ということではありません。
キリバンを踏むのが嫌なのです。

とあるサイトで踏みそうになった後、画面に『〜ヒットの人は掲示板に書いて』と書かれているのを見て、内心『セーフ! セーフだよ!』と叫びましたし。

常連さんが踏んでくれるなら、いくらでもしたいですが、初見の人が踏む可能性がある以上、あまりやりたくないなあ、と思います。


――まあ、執筆速度が遅いので、これ以上何かしたら更に遅くなる、ってのもあるんですけどね。
どうも本人ですら、次に何を書くのやら把握してない部分がありますし。
『残るもの 残されるもの』も一話ごとに微妙に傾向が違ってますが、アレは狙っているのではなく、書いた当時、何の意識もせず普通に執筆をしてたら、ごく自然にそうなっただけなんです。
これが噂に聞く電波なのか、と自分では思ってます。

当時、影響を受けたものがそのまま出てる、という可能性もありますけどね。




――あ、ちなみに謎解きを教えてくれる人がいれば、WEB拍手先でもいいので、書き込んでくれるとありがたいです。



――――さらに追伸。
こうまで書いておいてなんですが、キリバンを踏み、その上で名乗り出ていただければ『何か』を差し上げます。
多分、文章系の何かです。



7月19日  webコミ


あー、もう、スゴイですよ、これ。
知ってる人は知ってるでしょうけど、とりあえず今すぐGoogleで『保管庫ススミチ』を検索しましょう。
『仮面ライダーになりたかった戦闘員』でも可。

リンクフリーかどうかは書いてなかったので、直接リンクはしません。

いや、マジですごいんですよ。
久々にちょっと泣きそうでした。

戦闘員の日常を、コミカルに、或いはシリアスに描いたものなんですが、だんだんと、だんだんと、おそらくは中盤以降から
洒落にならないくらい面白くなってきます。

英雄とは呼ばれない人間。
怪人ですらない、ただの戦闘員。その叫びが胸に迫ります。



英雄が、かっこいい事を叫んでも当たり前。
悪人がどんな主張をしても、その説得力は半減します。

ただの一般人。
ただの雑魚キャラが命を賭けるからこそ、そこに輝きが生まれるんだと思いました。


ああ、もうとりあえず見てない人は見てください。
最後まで読みきって、損だったとは思わないはずです。




7月17日  豚の角煮


今日は暇にまかせて、豚の角煮を作ってみました。
旨かったですよ?

キチンと料理の本を見てやれば、意外と簡単に出来るものなんだなあ、などと自分で感心しました。

基本は米のとぎ汁で煮込み、その後、醤油と砂糖で味付け。
これだけ。
ただし、結構な時間が掛かります。
具体的にはざっと4・5時間。

私はこういったことには我慢が効かない人間なので、2・3時間ていど省略して作りましたが、それでも結構いけます。
油がゼラチン状にぷりぷりしてて、出来立ての熱々を食らうと昇天します。
口の中で醤油の香りと油が暴れ、肉自体もかなりの柔らかさ。

油に塩っ辛いものをプラスすれば、大抵、美味しくなるもんですが、これはその中でも上位なランクに入るんじゃなかろうか。などと自画自賛。
しつこい味ではあるので、毎日食べたいとは思えないですが、月に一度くらいなら食いたいかも。

――作るのは面倒ですけどね。
ほぼ一日くらいは、確実に潰れます。





料理をしてると言うと、何故かある程度の尊敬を受けたりするんですが(「へえ、そうなんだ位」)。誰でも基本を習って味見をキチンとすれば大丈夫なように思えます。まあ、個人的な意見なんですが。

特に味見。
これはやるとやらないでは大違い。
意外なくらい大事です。
どんだけ経験をつんでも、最終的な味はやっぱり予測しきれないんじゃなかろうかと思います。
素材やら油やら温度によってまるで違うんですよ。


よいシェフは太っている。
なぜならよく味見をするし、よく他の店の料理を食べに行くからだ。なんて説さえあるくらいですしね。




――あ、ちなみに最初に料理をするのなら、お勧めはイタリアン。つまりはパスタです。
ガーリックに鷹の爪、ベーコンを炒めて混ぜるだけで立派な料理になります。
恩田陸さんの「木曜組曲」でもありましたが、手軽なのに見栄えも良く、素人でもそこそこ上手くいきます。
とはいえ、ここで『料理が出来るんだあ!』などと自慢しては家庭の不和に繋がり、包丁が飛び交う可能性がありますが――(既読の人だけ分かるネタ)



まあ、それでも最初は失敗することもあると思います。
そこで悔しくてリベンジするかどうかが、きっと料理にハマル分水嶺。
そう、私がそうでした。

参考までに言うと、私の最初の料理は、乾燥した鷹の爪を、中身も取り除かずに大量に刻んで入れ、その上で豆板醤を入れました。
なに考えてたんだ自分、悲しいことでもあったのか自分、そんなに己を追い込んでどうする自分。と自己ツッコミを入れたくなるようなマネをしたわけです。
どんな味になるのか興味がある人は、是非とも作ってみてください。

水無しに食い切れたら、勇者の称号をさし上げます。




――――オリーブオイルが、何故か真っ赤だったなあ。




7月16日  スペイン、牛追い祭り 


今年の負傷者は56人だそうです。
これは過去最悪級だそうです。

うーん、これは一回は行ってみたい気もしますが、一生行かないなら行かないでも、良い気がします。
良くある悪夢の状況、『後ろからなんかが追いかけてくる!』を、リアルで体感してみたい気持が半分。
『ケッ、牛に追いかけられて何が楽しい!』という冷めた目が半分です。

まあ、祭りというの多かれ少なかれ『馬鹿馬鹿しさ』と『命がけ』があってこそ輝くものですし、この牛追い祭も、祭りの本分としては非常に正しいと思います。



えー、ところで、こういったことに目くじらを立てる人たち。
動物をちょっと過保護なまでに保護しすぎちゃう人たちは、これに反対してないのかなあ、と調べたところ、やっぱり反対してましたね。予想通り。

ただ、ここで少しばかり面白いのは、この反対運動を
裸になってやってることです。
牛追い祭りの時期に合わせて、反対運動の人たちが真っ裸になって、
牛の角とかつけるコスプレまでしてデモ行進してます。
普通に反対運動をしても誰も見てくれない、だからこそ、文字通り裸一貫で、体を張って反対するって寸法です。

これは、非常に上手い手ですね。
牛追い祭りは行きたい率、半々ですが。
この反対運動は
100パーセント見に行きたいです!!←アホ

だって、むさいオヤジはともかくとして、結構キレイなお姉さんが真っ裸なんですよ!?
牛なんか見てる場合じゃありません。
見るべきは
ホルスタインです!



この人たち、残酷な牛追いを止めて『人追い祭り』にしようと主張してるらしいですが、追ってくれるのは、やっぱり、は(自主検閲)で(自主検閲)な、美人のお姉さんオンリーですよね?
そうなんですよね?


――誰もが100パーセント追いつかれそうです。



7月15日


むう、ネタが無い。

普段だったら、こういう時は書評で誤魔化すんですが、それも咄嗟に思いつかない。

と言うわけで思ったことをツラツラと書きます。

テーマは『少年犯罪』。
ばばん!←効果音

などと言っても、ちょっと詳しい人なら知ってるでしょうけど、昨今、少年犯罪が増加してるとは、必ずしも言い切れません。

と言うかですね、様々な要素が絡んで『若年層の犯罪率が高い』=『若者がキレやすい』とは言い切れないんです。

たとえば警察側が『少年犯罪を撲滅しよう!』とか息巻いてる時期なら、当然のことながら検挙率はアップします。
だからといって、その世代の少年が凶暴とはいえるでしょうか?

若年層の人口が多ければ、それこそ団塊の世代の人たちが子どもだったころであれば、犯罪の絶対数は増加します。
絶対数が多くても、世代の中に占める割合が低かったら キレる若者は増えてるでしょうか?

他にも、今までだったら門前払いしてた件をまじめに対応しようと改めたら犯罪件数は増えますし、ちょいとまじめに考えたくらいでは把握できないくらい、ややこしくも複雑怪奇です。

たしか、どっかで、『少年犯罪は、軽いものを除外すれば、むしろ減少傾向にある』とか見た気もしますけど、それですらも『少年犯罪は減っているんだ』とは断言できないわけです。


まあ、基本的に警察が取り締まったものしか、我々の目には触れないんですから。
実態を把握するのは、かなり難しいです。(これは全ての犯罪推移についても言えるかも)









っと、まあ基本的なことを書いた上で、
ほぼ関係なく、nonokosuの一つの提案。
ちょいと思いついたこと。
まあ、半分以上、戯言ですけど――






・学校、潰さない?


どーも、前々から思ってたんですよ。学校のある意味は、現代において本当にあるのかと。
それがあるせいで、時間の大半は拘束される。
放課後であっても塾・予備校で時間が削られる。
ほぼ一日中、机に座るばかりの生活なんて日もある。

そうした『閉塞感』が、現代を蝕む要因の一つじゃないかと思うんです。


『人格』も『倫理』も『躾』も『教育』も、なにもかもを学校まかせにするから、歪みが生じるのです。
学校は『ものを教える場』な筈です。
それ以上のものを教えてはいけないし、教えるべきでもない。
学校教育が犯罪を減らせるなどということは、私にとっては幻想としか思えません。

更に言えば学校の教師の中で、『プロ』として『誇り』をもってやってる人が少ないように思えます。
指導要綱がガチガチに固めてしまってる、ってこともあるんでしょうけど『俺は教えるプロなのだ』という顔をした先生、私は見たことがありません。
『俺は教師、俺は教師』と自己暗示を掛けてる先生なら、いくらでも見たことはありますが。

『教える』なら教える立場の、『教育者』なら教育者としての立場があるわけで、この二つは実はまるで別の、相反するものなんじゃないのかなあ、と思います。



――えーと、まあ、色々と言ってますが、要するに今の教育が、『長年研鑽を積み重ねた末の教育論の結果』とは、とてもじゃないけど思えないって話です。
それどころか色々な機能を加えようとして時間ばっかりが長くなり、教師も生徒も酸欠状態に陥ってるんじゃないかなあ、って気がするんですよ。

そうして『拘束時間』ばかりが長くなり、本当に必要な時間が少なくなって行く状態。
これが『閉塞感』を生み出し、ヘンな事件へと発展させて行くんじゃなかろうか? そんな考えです。



――あ、ちなみにだからと言って、あの『ゆとり教育』とか言う、現実をまるで見ようともしない馬鹿な政策には反対です。こうした事柄は、中途半端にしても意味がありません。玉虫色や妥協点を作っても、それは悪い結果しか生み出さないです。






7月13日  はだしのゲン



えーと、たしか私が始めて読んだのは小学生のころでした。
なんかの理由で図書館に行き、読むものもないのでマンガを探したところ、見つけたのがこの『はだしのゲン』でした。

――いま、多少なりとも判断できる年代になってから振り返ると、ちょっと小学生が読むには不適切なマンガだと思うぞ、ホントに。

原爆の酷さ、むごさを伝えるのにこれ以上のマンガはないでしょう。
手塚先生のマンガにもいくつか登場はしてますが、本作の方がはるかに上です。
いまでも幾つかのシーンが鮮やかに思い出せます。

……というよりも、あまりにも鮮やか過ぎて、忘れられなくなったんですよ、マジで。

インパクトなんていう単語が霞むくらい、とんでもない威力でした。

原爆の怖さというものを、頭ではなく、ほんの僅かであっても肌で感じることが出来たのは、間違いなくこのマンガのおかげです。
数値で「ダイナマイト何百個分の破壊力」とか「放射能の影響がコレぐらい」などと言われるよりも、本作を読んだ方がよっぽどリアルです。

被爆者の書いた絵を見てもピンと来なかった私ですが、このマンガを読んでから行くと凄い納得できたりもしましたし。




――さて、今回、このある意味、問題作・『はだしのゲン』が英訳されてアメリカで出版されることになりました。
いいんかなあ。
大丈夫なんかなあ、と、つい他人事ながら心配になります。
なにせ、エノラ・ゲイを『原爆資料と一緒に』展示しようとしたら、『原爆の悲惨さを強調しすぎてる』として退役軍人やら政治家が圧殺した国ですからね。
現在だって機体そのもの展示はされてるものの、原爆についてはノータッチです。

あと、いまはどうか知りませんが、アメリカの教科書にだって「原爆を投下しなかったら100万人が死んでいた」という嘘八百が堂々と乗ってましたし。有名なドキュメンタリー番組だって「原爆投下は必要だった」とか戯言を言ってました。
かの国の原爆肯定の考え方は、アレルギー反応に近いものさえ感じます。



――まともな判断力と理性を持っていたら『原爆はイカン』と思ってしまうマンガを、アメリカは一体どう受け止めるのか、ちょっとばかり今から興味があったりもします。



7月12日   人類進化の鍵


人類が進化した鍵、それは
おばあちゃんとおじいちゃんにあると、このほどミシガン大学のレイチェル・キャスバリ氏が発表しました。

良かったね。



――と、これで終わっては話にならないですね。
えーと、要するに原始人類の段階だと、出産→死亡というサイクルのみで、『知識を蓄えて次世代に伝える』ということが難しかったみたいなんですな。
寿命が延び、祖父や祖母が社会に参加することで、知識を伝えること、蓄えることが用意になったらしいです。

実際、祖父母世代が増加しだしたクロマニヨン人から、文化や芸術が発達しました。
これを
おばあちゃん効果と呼ぶらしいですが、本気なんでしょうか?

あー、ちなみにこの仮説を提唱してる人は、「現代は若者中心文化になりがちだが、人類を育てたのは年長者なのだということを知るべきだ」とか言ってます。
要はもっとじいちゃん・ばあちゃんを大切にしろ、ってことでしょう。



……うーん、情報が大切、というのは、どこの時代でも変わらないんですな。




7月10日  0の殺人


書評です。
我孫子武丸さんの書いた推理小説ですが……

なんて言ったらいいものやら、とにもかくにも『卑怯』です。

まず、一番最初に容疑者が四人、提示されます。
これは小説中ということではなく、最初に〈作者の注意〉という形で、「この中に犯人がいるんだよ〜」と、言い切ってしまうんです。
更には「簡単だから誰でも分かるとは思いますが――」などという挑戦状まで叩きつけてくれやがります。

ここまで言われると、否が応でも犯人を当てたくなるってものですが……


うん、解決する前に、完璧に分かった人、少ないんじゃないかと思います。
容疑者四人の中に犯人は確かにいます。トリックもなるほどと思わせます。整合性だってバッチリ。アンフェアなことは何一つされていないはずなんですが、読み終わった途端、思わず本書を
燃やしたくなったのは、私だけでは無いはずです。
読者舐めてんのかァ!!」と、思わず叫びましたよ?

いやはや、言葉っていうのは便利なもんです。

このシリーズの一つ前、『8の殺人』はまるで評価しない私ですが、本書は読むだけの価値があります。
まじめに推理すればするほど怒りが湧き上がる構成にはなってますが、速水三兄弟の会話をはじめ、軽妙でスラスラと、楽しく読めます。

ただし、作者が用意してる『思考の罠』に掛からなければ、ですが――



7月9日  チンギス・ハンの子孫は食事無料


だ、そうです。
心当たりのある方は、英国は、ロンドンにあるモンゴル料理店「シシ」までどうぞ。
DNA鑑定が貴方を待ち構えています。

モンゴルでは過去70年間、姓を名乗ることを禁止されていた歴史があり、その禁止が解禁されたことを讃えての行動ということみたいです。
つまりは、けっこう切実な理由でやっているんですが……


――チンギス・ハンの子孫って、ものすっごい居るんですね。
推定で1700万人。
これが、チンギスなハンさんの子孫の予測数だそうです。
ミリオンどころの話じゃないです。
たしか、東京の人口が1200万前後ですから、それよりも多いってことになります。
彼らが東京に来たとしたら、人口が倍以上に膨れ上がってしまう計算に。

うーむ、たとえ何百年後だろうと、私の子孫がそれ以上の数になることはないでしょう。
ちょっとばかり悔しいような気もします。


それと、どこかで聞きかじった話ですが、女系に伝わるミトコンドリアは、円形に綺麗に広がってゆく様子が詳細に分かるらしいですが、男系につたわるY染色体は、かなり『でこぼこ』というか、染色体の広がりにムラがあるそうです。

当然といえば当然な話ではあります。
ごく普通の男より、後宮を持っていたり妻が何人もいたりする男の方が、『その子孫の数』が多くて当たり前。
更に言えば、その直径の子供だって同じようなことをするわけですから、どんどんどんどん『特定人物のY染色体』が増える計算になるんですね。


――うん、それを考慮すると、200万年の歴史の間、人間はどんどん凶暴になっててるってことになるんでしょうか? 少なくとも、凶暴化の割合はずうっと増加傾向にある? 
うーん、どっかに論理の抜け道とかがありそうです。



7月8日  うちゅうえれべーたー


アメリカの民間研究機関ISRが、15年後の実用化に向けて、軌道エレベーターを作ってしまうそうなんですが……

うーん、何故なんだろう。
どうも燃え上がらないというか、ものすっごく冷めた目で見てしまう自分がいます。

頭が固いせいか、どう足掻いても『成功してるイメージ』が想い浮かば無いんですな。
宇宙空間から地上まで、幅1m、
紙のように薄いカーボンナノチューブを垂らし、そこをえっちらおっちら登るそうなんですが……

――正直、
そんな紙程度の厚さに命賭けられるかぁ!! って気分です。

まあ、私が乗るんじゃないってことは分かってますし、メインに乗せるものは資材・貨物になりそうですけど、ちょっと気分的に頼りない。
技術的には難しいとは分かっていても、やはり軌道エレベーターと言ったら『真っ直ぐ天までバベルの塔』というイメージが強いので、ちょっとなあという感じがします。(この辺、マンガ『銃夢』のインパクトが強いのかも)

だって、幅1mですよ?
すこし手を広げた程度の『紙』が、ずうっと空まで伸びてるわけですよ?
「さあ、これが君の命綱だ」 もしくは、「これで宇宙に行けるんだぜ!」と言われたって、普通の感覚を持っていれば鼻で笑い飛ばすかぶん殴ります。

小説・くもの糸のように、なにかの拍子に、ぷつん、と切れそうな予感さえします。
宇宙ステーション直前とかで切れたら死んでも死に切れませんよ?


……それ以外にも、デブリ(宇宙ごみ)対策は大丈夫なのかとか、事故の際、地上に甚大な被害が出るんじゃないかとか、台風程度なら試算してるんだろうけど竜巻でもOKなのかとか、
どっかから飛行機が突っ込んできたらどうするんだとか、建設費用が膨大な割には不安要素が多いなあ、って気がします。





まあ、一番、ぶっちゃけて言ってしまえば、『どうせ宇宙へ行くならロケットで行きたいんだい!』ってだけの話なんですけどね。



7月7日  東方シリーズ(注・強烈な弾幕が含まれています)


おお、ずいぶんと日記を書いてなかったnonokosuです。
別にサボっていたわけじゃないですよ?
遊んでいたんです!!←最低

原因は上記のゲーム。
これ、ヤバイです。
かつて無いくらいハマリました。

ジャンルとしてはシューティングになるのかな?
そういい切ってしまうには、ちょっと抵抗がありますけど。
なにせ、このゲーム、『撃つ』ことが主眼ではありません。
『避ける』または『見る』ことがメインです。
もちろん、普通に敵を倒すことは倒すんですが、それよりも避けることに意識を向けないと、
秒殺されます。

いや、本当にプレイする誰もが、一度は「ありえねえ!!!」と叫びますよ。間違いなく。
こっちの脳みそを良い感じに混乱させてくれる
弾幕の量です。
具体的に言うと、こんな感じです↓



  

とか、

  



こんな感じでもある↓





とか、




これ避けられるの、人間じゃない」と思わず呟きたくなりますが、そこはゲーム。実はちゃんと避けられます。

初見で思わず爆笑してしまったくらいの弾幕量ですが、一応、人間がやって避けられるようになっています。
――いや、それでもやっぱり難しいことは難しいんですが、nonokosuはだいたい避けられました。



現在、東方紅魔卿と東方妖々夢と、体験版だけ遊べる東方永夜抄があります。
一般に製品化されているわけではなく、同人としての作品なんですが、テンポのいい音楽と適度な(?)難易度で、かなり良い感じで遊べます。

私は完全にシューティングに関してはド素人なんですが、それでも各種の裏技を駆使して(わざと重くしたとも言う)なんとかクリアーできました。
エキストラの妹様に勝った時には、思わずガッツポーズを取りましたよ。


『人間の反射速度の限界測定』みたいな弾幕を、高クオリティの音楽に合わせて、くぐり抜ける――
一度ハマると、麻薬のように抜け出せない危険性があります。
ふと気がつくと、「ああ、弾幕避けなきゃ……」とか呟く危ない人間になっても保障はしません。

それでもやってみたいと言う方は、こちらの
上海アリス幻楽団までどうぞ。
それぞれの体験版(三面まで)と音楽があります。
どの作品でも、三面あたりから本格的に難しくなり、弾幕量も加速度的に増えるので、雰囲気を味わうには丁度いいと思います。




――あ、あとHPで保管されている音楽も良い感じです。



7月2日  いま現在、起きている虐殺


とりあえず、何も聞かずに
ここを見てきてください。

非道さに反比例して、あまりにも知られていないことだと思います。
私は新聞は軽く、あとはネットニュースで詳しく見る人間ですが、
海外ボツ!ニュースさんを見るまで知りませんでした。

CNNのネットニュースにも乗ってませんし、新聞でも少なくとも大々的には報道されていないと思います。

なぜ、なんでしょうね。
どうでもいいような情報はすばやく、そして、大きく載るのに、本当に重要で知らなければいけない情報は何故こんなに小さな扱いなんでしょう?


マスコミは公正? 権力とは無縁?
本当なんでしょうか?
こうしたことに関連する報道が、あまりにも小さい扱いであることに疑問を覚えます。

各国が、この泥沼な状態の中を『救援』に向かえば、文字通り『人助け』だけで終わり、益することは少ないと思います。
石油は出ない、経済的にもさほど豊かではない。
まして、イラク戦争を起した直後であるだけに、どの国も戦力と金を使い疲弊してる。
助けた後には救護活動もしなければいけないし、国の建て直しも手伝わなければならない。
つまり、得るものは無く損失だけが大きい。

各国の中の誰か、
『助けるべきだ』という世論になって欲しくない政治家が、何かしたということは本当にないんですか?


なんと言うか、経済力と命の値段って同じなのかと錯覚してしまいます。
人種差別は、まだしも無くそうとしてきた歴史があります。
けれど、こうした経済での差別は21世紀から先も無くならないんですかね?
あまりにも非道な格差でしょうに。


――報道に関しての推測がすべて邪推だったとしても、日本で同じことが起きたら、この程度の認知度で終わるでしょうか?
人権問題も言い出さず、末期的な状況になるまで放っておき、大きく取り上げられることも無いんでしょうか?

経済大国な日本とスーダンとでは、各国の対応も同じなんですかね?

命って、本当に値段がつけられる世の中である気がしてなりません。



…………なんだか偽善的なことばかりを言ってる気もしますが、それでもこうしたことを『知る』ってことは、重要なんじゃないかと思います。
まるで知らずに終わるよりもずっとです。



7月1日  楽園


おー、いつのまにか7月に……
ふと気がつくと、小説よりも日記に力を入れてる気がしてならないnonokosuです。

こんなことではイカンと思いつつも日々ネタ探しをしてしまいます。


さて、今回は書評、鈴木光司さんの『楽園』なんですが……
私はむしろ、アニメ映画化された方を見て感動した人間です。
かなり昔でうろ覚えなんですが、たしか、深夜の再放送を見て「うおっ、凄い!」と一人で感動した覚えがあります。

内容としては『輪廻転生もの』なんですが、太古から物語がスタートし、中世の大航海時代、そして、現代へと移り、ただの転生ものに終わらず、同時に壮大な歴史物語としても描かれています。

男女が『転生先で、なんとなく出合った』とか『運命を感じると思ったら前世の恋人だった!』というのではなく、引き裂かれてしまった過去を最初に明示し、その後、死に物狂いで出会うまでを、世代を越えて描いています。

最初の『神話』、次の『楽園』、そして、最後の『砂漠』と、それぞれに独立した、恐ろしいまでに骨太な構成。
太古の、文字通り『神話』の息づいてる世界から、中世の、遭難した果てにたどり着く『楽園』。現代の『砂漠』奥深くにある洞窟へと、主人公の守護動物『赤い鹿』をキーワードに貫いています。


――説明しててもそうなんですが、とにもかくにも『壮大』な話です。
たんなる壮大さだけではなく、現実の厳しさもしっかりと表現し、
その上で、『輪廻転生』という反則技使っているので、これはもう大変なことになっています。

普通の学園ものではあり得ないほどの、世界の広がりと感情の膨大さです。
ああ、もうネタバラシがしたい!


――ただ、映画を見終わった後、さっそく原作を読んだのですが、「ん? なんか印象が違う?」などと思ってしまいました。
映画『リング』と原作との関係もそうですが、どうもこの人の作品は、映像化された方がより良い印象を与えてくれる気がします。

テレビで見て印象的だった幾つかのシーンが、原作だと存在していないんです。

特に一番最後の終わり方なんか、余韻としていつまでも残っていたので、原作には無いと知ってもの凄く残念でした。
あんな卑怯な、ある意味すばらしい終わり方、私は他にはあまり知りません。

そう、これは『数千年まえに分かたれた二人が、再び出会えるまで』の物語なんですよね。





注・昔、一度だけ見た映画なので、nonokosuの中で、かなり美化されている危険性があります。
  今、発見しても見返す勇気はちょっと無いかも、良い思い出として取って置きたい気分があります。
  というか、映画のタイトルも既に憶えてないし……(たしか、楽園というタイトルでは無かった。)