「結界っ!!」
僕はシアに防御結界を張る。
エビのように飛び跳ねてた身体が、止まる。
「ふう」
短時間だし、大事には至らないだろう。
白光が消え、揶揄するような声が降って来た。
「オヤサシイことねぇ、アタシを殺したくせに」
「…………」
答える必要が無いので、答えない。
「……何? ダンマリ? 自分のしたことも憶えてないのわけ?」
「そこまで記憶力は悪くないよ」
「ふーん、よかった、もう忘れてるかと思ったわ」
「『予知』が出来る割には過去にこだわるんだね?」
「なんの事よ?」
「マトリエル、かな。それぐらいしか心当たりがない」
そう、能力を学ぶ相手として該当するのはマトリエルしかいない。
「あの使徒だけ、あまりにも丁度いいタイミングで来たよね。他の時なら秒殺されてた筈の使徒が、曲がりなりにも第三新東京内部まで侵入」
パッと手を開き。
「さらに、生身のチルドレンと接触、僕を殺せるチャンスを得ていた。エヴァ搭乗後もパレットガンを溶解液で叩き落とし、唯一の武器を封じるわ、兵装ビル、マギ、通信連絡網、電源を碌に使えない時、第3新東京市の停電の時に『都合よく』現れた。ここまで来れば偶然とするのは不自然だね」
相手は静かな表情だった、微塵もその自信が揺らいでいない顔だ。
「…………ええ、そうよ、最弱の使徒マトリエル、その真価は溶解液ではなく、『予知能力』にあったてわけ、で? 分かってどうするわけムテキのシンジ様? 何か対抗策はある?」
「もちろん♪」
僕はわざと自身満々に言う。
17種の使徒たちから得た能力を、相手がどれだけ持っているかは分からない。
口先で出来るだけ把握しなければならない。
「へーえ、肉弾攻撃の無効化、予知、分身での回避、こんだけのものを打ち破れるってわけ」
「当たり前だろ、君のほうが弱いんだ、僕がシンクロ率を追い抜いた時のこと、憶えてないの?」
牽制球。
「忘れたわね、そんなこと、それより……」
躱した。
そして、いかにも意地悪そうに、シアを見た。
ヤバイ。
「ずいぶん、この子のこと大事そうよね? 絶対に傷つかないように、要所要所でカバーしてたし」
「なに言ってるの、あんまりにも不甲斐無くて見てられなかっただけだよ、僕だったら秒殺できる相手に負けるなんて油断しすぎだよね?」
「ほーら、今も必死にアタシの注意を逸らそうとしてる、大事な証拠ね、だから……」
その爪が伸びた、それは易々とフィールドを貫通し、シアの胸に突き刺さった。
痙攣する。
「こんな事したら怒る?」
捻る。
「…………」
冷静に僕のことを観察してた。
抜く。
血が吹き出て、あたりを汚した。血溜りが広がる。
愉悦に輝いた瞳。
「つまらない反応ね、なら――」
「責任を取ってもいい」
「……え?」
「さっきの話、アスカを殺した責任、僕が取る」
「へーえ、どういう心境の変化ぁ」
「僕にはその義務があると思っただけさ」
とてもイヤな顔で笑ってきた。
「そう、そうなの、じゃあ、アタシと一緒に溶け合ってくれる? ひとつになって。そうすれば許してあげ――」
「ただし」
遮って、付け加える。
「それは、アスカ本人が言った場合だ。偽者はお呼びじゃない」

場が凍った。
とてもキツイ目で偽者が睨んでいる。
「まさか、バレてないとでも思ったの?」
「…………」
「僕はリリンの総体であり、代表だ。全ての人は」
胸に手を置き。
「ここに居る」
笑う。
「だから、君が偽者なのは初めから分かってた。誰かが出て行けば、その時点で分かる」
「…………」
「あと、本人からの伝言」
僕は、声を本人に変えて言った。
「『姑息な真似してんじゃないわよっ! アタシの肖像権返しなさい! それとアタシの髪はそんなに赤くないし、性格もそんなに陰険じゃないっ!! 2Pキャラみたいな真似すんじゃないわよっ!!』だそうだ」
視線がキツクなる。
怖くも何とも無い、アスカ本人ならともかく、これは『敵』だ。
「まあ、シアも、僕以外に負けることがあるっていう教訓になった」
もう、限界だ。
この偽者は、シアを傷つけた。
「戦いは戦術次第でいくらでも変わることも学べた。だから、今のうちに礼を言っておくよ、アリガトウ」
無表情に言ってやる。
「だから――


だから、トットト、キエロォォォォォォ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


無調整で過粒子砲を放った。
眼前が白くなる、肌が焼ける。地面が森が盛大に爆発した。
『分かっていても避けられない攻撃』、これもそうだ。
例え予知できても、この粉塵は避けられない、そして、
「いくよ――」
ディラックの海で、反対から声をかける。
驚いた偽者が振り返るのを見た。
気がついた時にはもう遅い。
僕は思いっきり踏み込んで、
「「『ゼルエル』の!!」」
僕と偽者が同時に叫ぶ。
焦りが伝わる。
「『腕刀』!」
「『防核』!」
偽者の『長方形』は、僕のコアにぶち当たり火花を散らした。そんなことは気にせず突進して偽者をぶん殴る、綺麗に10mは吹っ飛んだ。
コアはこげ茶の肉隗が防御していた。疑似的なものとはいえN2地雷だって防ぐ。あの程度の攻撃では傷一つだってつかない。
意識を集中しなければ、能力は発揮できない、そして、
「『レリエル』の『ディラックの海』を『多重展開』!」
偽者の周りを多数の『穴』が囲む。
「『ラミエル』の『過粒子砲』を『4連』!」
『穴』からの強烈な閃光を転がって避けてた。
『椀刀』を無様に引きずっている。
僕は左手を開きながら更に言った。
「『16連』!!」
直撃させず、取り囲むように撃つ。
その場から逃げ出せないように。
偽者は避けながらも、訝しげな、コチラの意図を探る顔をしてた。
次に何をするか『予知』してるのだろう。
それは無駄だ。
「とんで」
偽者の上空に大量の『穴』を作る。
拳を振り下ろしながら叫んだ。
「なっ!?」
「『256連』!!!!!」
黒雲のような多量の『穴』から狂った閃光が降り注ぐ、微妙にタイミングがズレた発射音が鳴り響き、大地が震えるほどの激震と轟音が炸裂した、『爆心地』からの衝撃波だけで森が消し飛び、大気を分断した。唖然としてた偽者は一瞬で消える。
同数のパイルバンカーを撃ち込んだようなものだ。その轟音と振動は凄まじかった。
音さえ撃ち抜き、大地を穴だらけに穿った。
帯電した大気が、紫電を一斉に放出する。
僕は拳を振り下ろした体勢のまま、ただ見てた。
家はもう、跡形も無く吹き飛び、僕の髪や服だけが風の影響を受けていた。
「…………うん?」
光の鉄格子に変化が生じていた。
過粒子の中を、巨大な影が抗っていた。
「あれは……」
「ルゥゥォォォウウウウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!」
「エヴァ弐号機。漸く憑いた本体を現したか……」
滝の向こうがの景色のように、その巨体が現れる、スッキリと直線だった光線たちが折り曲げられていた。
ATフィールドで防いでなお、全身から煙を上げていた。
その様は神代の巨人だ。
全身を焼かれ、怒り狂いながらも、その活動を止めない。
背筋を震わせながら立ち上がる。
四つ目が光った。
馬鹿馬鹿しいほどのエネルギーが天を突いた。
過粒子とそのエネルギーが拮抗したのは一瞬だった。すぐに、十字の光が『穴』を通して僕の中に顕現した。
「ぐゥうう」
幾つかの過粒子加速器が、暴発した。
僕の『海』の一角が爆発に爆発を重ねる。
暗い『海』の中が明るく染まった。
「ルオォオウウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
叫びながら、エヴァ弐号機が迫る。
光線の滝を越え、コチラに突進してきている。
僕は失明しかけながら、その姿を捉える、予想以上のダメージをくらってしまった。
だが、
「『レリエル』の『ディラックの海』を『高速転移』!!!」
叫び、手を振る。
エヴァ弐号機の左足、その脛の部分をパックリと抉り取った。そこだけ『移した』のだ。
足払いをかけられたように弐号機は倒れこんだ、その倒れる間にも身体の各部を抉り取ってやった。
大地が震えた。
全ての石が、衝撃で宙に浮く。
だが、この程度では時間稼ぎにしかならない、倒れた時から、無くなった脛を補完するように左太ももと左足は引き合い、穴だらけの身体を再生しだした、全身から勢い良くLCLを出しながら、右手で立ち上がろうともしている。
僕は睨みつつ、ポジトロンスナイパーライフルを地面の『穴』から引き抜いた。
本来はエヴァがようやく持てる長大なそれだ、剣のように天へ掲げてから、両手で照準を合わせる。ズシリ、と重い。血管が気味悪い程に浮き出た。極限の負荷が足にかかる。太いコード類も引きずり出された、極悪なエネルギーが其処から流れ込む。
僕個人でに撃てる様にセッティングしておいたが、元々の大きさが違う、両足が更に地面にめり込む、血も口からせり上がってくるが無視、ひたすらに合わさる時を待つ。
スコープからは、エヴァ弐号機の狂姿が見えた。もう、不恰好ながら立ち上がっていた。
僕の瞳孔が、収縮と拡散を繰り返すのが分かる、おかげで見えづらいことこの上ない、腕の毛細血管が破裂した、内側からも外側からも出血だ。気分が悪い、ディラックの海ではまだ爆発が続いている、吐血する、僕の口から下は血まみれだろう、でも、頭は動かさない、動かしてなるものか、血の嫌な味が広かる、気が遠くなる、馬鹿のように長い銃に意識を向ける。
だから、『その合図』を見逃さなかった。
「いけぇえええええええ!!!」
両腕にかかる衝撃を全身で耐えた。発射音だけで鼓膜が破けそうだ。光弾は衝撃波を銃口から吹き出し、視認不可能な速度ですっ飛んだ。僕からは、轟音と共に消えたとしか見えない。
光弾は、一瞬でATフィールド、弐号機の掌、装甲、コア、その向こうの山7つを結びつけた。
軽い音を立てたものが通り過ぎた。弐号機本人はそれぐらいしか分からなかっただろう。
一拍の間を開けて、それらは次々に破砕した。後の方ほどに破砕範囲は広い。
粉塵が辺りを覆う。
ポジトロンライフルを落とした。
後は、静寂。
風だけが吹いた。
腹に大穴を開けたエヴァ弐号機が震えながら倒れ、轟音を響かせた。
僕はそのことを確認し、糸が切れた。
膝を着く。
思う存分に血を吐いた。驚くほどの量が出た。
服が気持ち悪かった。水びたしどころか血びたしだから仕方ないけど。
正直、のたうち回る元気もない。
「か、は、あ……」
シアに行く筈の痛みを全てコチラに回した。
おかげでこの様だ。
情けないったらない、もうすこしカッコ良くしたいものだ。
崩れるように、大の字になった。
目を閉じる。
(終わった……)
息を吐く。
血の臭いがした。
(嫌な、臭いだ……)
LCL、赤い海と、ロクな記憶がない。
まあ、でも、悪い気分ではない、少なくともシアを守れた。
両手がチクチクと痒かった、再生の痛みだ。
内臓からも、奇妙な暖かさが伝わる。
(ポジトロンスナイパーライフル、使っちゃったな……)
延々と『力』を溜め込み続けた一品だったのだが、単発なのが欠点だ。次に撃てるのは何年後だろうか。
(シア、大丈夫かな……)
確認しようと目を開いた。

エヴァ弐号機の顔があった。

「なあっ」
完全に不意を突かれた。
なす術もなく、その手に捕まえられる。
(カヲル君状態、再び)
今度はリアルバージョンだ。
もはや、抗う力が残ってなかった。
チラリと後ろを見ると、コアを貫かれた弐号機が変わらずいる。
(『分身』したのか)
イスラフェルの能力。
本来であれば、その攻撃を受けたときの『記憶』を限りなく忠実に思い返し、その構成要素・発現方法などを発見するのが、僕の能力だ。正確には『学習』ではなく『模倣学習』能力で、使徒本人の能力とも多少は違う。
だから、おかしい。
この偽者はエヴァ弐号機という素体があったにしても、極限の痛みを得ていない使徒相手に、その能力を受け継いでいる、その受け継ぎ方もかなり正確だ。
腕を吹っ飛ばされたり、頭を貫かれたり、生死の境まで彷徨い、さらに、そのことを何十となく追体験して得た能力なのだ。そう簡単に会得できるはずが無い。
(つまり、僕とは違う方法で――)
そこまで考えついた時、全身を違和感が襲った。
弐号機と接触した部分から、青白く光る粘菌状のものが滲み出した。意思を持って蠢くソレが、煙を上げて付着した。
「ぐ? ぎあああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」
何だろうと思えたのは一瞬だ。堪らない痛みが、神経に奔流となって流れ込んだ。
エヴァの巨手から滲み出た粘菌は、すぐに僕の全身をひたした。頭だけはかろうじてまだ残ってる、けど、こんなの希硫酸の風呂に投げ込まれるのと一緒だ。逃る暇もなく、手足は動かすほど焼け爛れた。
嫌な、生理的嫌悪感を誘う、痛み。くそっ、たまらない感覚だ。
斬られるのでもなく、焼かれるのでもなく、『溶かされる』。不可逆的に別のものにされる苦しみだ。
僕の口からは、絶え間ない絶叫が流れていた。
彼らは血液がお好みのようで、首筋の血を遡り、そのまま口に入ろうとする、慌てて閉じた唇が容赦なく焼かれた。
タチが悪い、本当にタチが悪い!
酷く薬物的な臭い、焚き火のように上がる煙、僕の身体は断続的に痙攣してる、涙が流れる、止められない。危険信号。コイツラは『水』を好む、でも守る術が無い、涙を伝って青白い侵入者が這って来る、眼が眼が、痛みで瞼を閉じられない、だから――
防げなかった。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ!!!!!!!!!!!!」
光がせり上がるのが、最後に見えた。
偽の光では無い。
大音響が頭を撃ち抜き、聞いた音楽が鳴り響く、これほどの悪意を込めた音楽では無かったが。
『アラエル』の『精神汚染』。
いまごろ光柱でも出現しているのだろう。
身体と精神の両方から、僕を浸蝕する気だ。
気が狂いそうな痛みと、容赦なく心を暴かれる苦しみ。
ある意味最強で、最悪な攻撃だ。
粘菌が鼻からも侵入し、呼吸が出来ない。
肺にも粘液が入り込むのを感じた。
潰された目には、代わりに光る鳥をデフォルメしたものが映された。
神々しいとも言えるその巨大な姿だが、いまの僕にはありがたくも何とも無い。単に眩しいだけだ。光量を少し落とせと言いたい。
鳥はゆっくりと羽根で僕を包もうとしていた。抱きかかえようとするかのように。
緩慢なその動きが進むにつれ、映像がフラッシュバックする。
僕の記憶も、そうでないものも。
共通するのは、『絶対に思い出したくない記憶』であること。
羞恥、苦しみ、憎悪、激怒、憎しみ、眩暈、絶望、拒絶、後悔……
映像は感情と一緒に喚起された。
僕は暴れたかった。泣いてわめきたかったが、それを伝える痛覚も神経も無くなっていた。
否定したい、拒否したいが、動くことも出来ない。
内からも外からも浸蝕されている。その侵入は完全に成功しつつあった。
脳からの指令は伝わらず、肉体は、ただ、グッタリと巨人の手のひらの中に収まっていた。
鳥はスッポリと僕を覆い、その神々しさを見せつけていた。
いま、エヴァ弐号機がどんな姿をしているのか、見れないことが残念だ。
さぞかし不細工な格好になっているんだろう。
羽根でも生やし、粘菌を垂れ流してでもいるのだろうか。
巨手に力が込めれれた。

ぐしゃ

と、幾分か湿った音を立てて、僕の肉体が潰される。
カヲル君と同じく、頭だけが落下する。
違うのは、落ちる先にLCLは無く、光る粘菌の絨毯があること。
咄嗟にコアを脳内に移したが、それも時間の問題だ。
鳥は羽根を狭め、精神を丸ごと呑み込もうとしていた。こちらも、あと少し。
僕は、負けた。
心残りがあるとすれば、コイツがこの後どんな行動をとっても、止めることが出来ないことだ。シアを守ることが出来ない。
僕は無限に落下する。
ただ、暗闇へ、
ただ、闇黒へと、
光る柱の中、ゆっくりと落ちる。
落下速度と比例するように、意識が切り裂かれる、消えて行く。
せめて、最後の風景を見てやろうと目を開けた。
光る鳥と、二重写しになるように、幾何学模様の菌類が見えた。
鳥に抱かれ、粘菌に侵され、僕はきっと――

『バカシンジ!!!!!』

突如、『その声』が聞こえた。
目を見開く。
狂った音楽を切り裂いて、その声はとても清々しく響いた。

『簡単に諦めるんじゃないわよ!!!!!』

力が、湧き出る、『ライン』を意識する。
膨大な無意識領域を思い描く。

『あの子を守るんでしょ!!!!』

身体を再構成する。精神を集中する。脳内の粘菌を処理する。
こんなヤツ、

「こんなヤツとっとと倒しなさい!!!!!!!」

最後だけ、とても近しく聞こえた。
「お、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!」
瞬時に肉体を再生、空中で反転した。
僕は、手をついて粘菌の絨毯の上に着地した。
コイツが偽者の本体、最後に残った使徒、マギと共生していた『イロウル』だ。
粘着質な着地音の後、周りから津波のように浸蝕しようとしてるが、
「無駄だ」
入り込ませない。
触れるだけで、浸蝕させない。
本能的な怯えが絨毯にショックを与えてた。接触した部分から、さざなみが走った。
「既に『学んだ』」
逆に浸蝕してやる。
僕の両手の血管が光った。
そのまま粘菌を鷲づかみにする。
幾何学模様が脈動し、爆ぜた。そこは灰色の『死んだ』領域となる。
ぽ、ぽっ、ぽっぽっぽっ……
と次々に僕の周りに連鎖する、身体を覆っていたヤツラはマグマのように弾け飛び、僕の眼前を見えるようにした。破滅は幾何学模様の絨毯へと飛び火し、高速で殺してゆく。鍋底の水のように爆ぜながら四方へと広がり、分離する粘液に追い着き、その身を破滅させていた。
暴れ狂う絨毯は、見る間に灰色となって死に絶えた。
「ハッ!!」
くだらないくだらない!
本当にくだらない!
ここで終わらせることも考えたがヤメだ。
この程度で殺されるほど、リリンは甘くない。
瞳を閉じる。
光る鳥が、渾身の力を込めて包もうとしていた。
随分と焦っているようだ。薄く笑って、『ライン』を開放した。
集団無意識との接続。成功。
最初に黒く紅い鮫が、僕の身体から出現した。
手近な羽根へと噛みつく。
『!?』
光る鳥は、その単純な造形に相応しくないほどうろたえていた。
瞬く間に、何百匹もの魚影が出現する。
僕の身体からは有りえない量が、湧き出るかのように次々と現れた。
光り輝いていた世界に、影が、その範囲を広げた。
外から見れば、アラエルの作る不恰好な球の中に、突如として墨汁が流し込まれたかのように見えたかもしれない。
無秩序なその魚たちは、その全てが光る鳥、アラエルに噛みついてた。
全て餓死寸前の食欲を見せていた。
僕からの流出は一向にとまらない。
荘厳な曲は、最早そのテンポを崩し、調子外れのものになってた。その輝きも明滅し、絶対者としての力強さは消えている。
まあ、控えめに言ってもボロキレだ。
魚が羽根を喰い破り、自由になったところから更に影は増えつづけ、黒く巨大な柱と化した。
僕の意思で動く『彼ら』が、竜巻のように獲物を侵す。
その大きさはアラエルの比ではない。
魚たちは、低く、低音で吼えながら、その口を止めなかった。
僕は黒柱の中心で、ボロボロになった鳥を見た。
魚達も睨む。
本格的に喰い潰してやろうと、酷薄な笑みを浮かべた時、その姿が消えた。
「ちっ」
手間をかけすぎた。
この世界から撤退したようだ。
魚影がピタリと止まらせ、時計を逆回しにするように僕の中に収納する。
目を開く。
灰色になった絨毯の下、動作のおかしなエヴァ弐号機がいた。
壊れたロボットのようになりながら、その手を僕に伸ばす。
その体重だけで、僕を圧死させられるだろうが、
「ふん」
まったく、くだらない。
いまさらエヴァで勝てると思っているのか?
「『シャムシエル』の『光鞭』」
侍の居合のように、攻撃の残像すら映さず、弐号機を切断した。
こま切れにされた『装甲だけ』がその場に落ちた。
鉄隗が、盛大な雑音を発する。
中身は無い。
「うん?」
土煙が収まるのを待つ。
どうにもイヤな予感がした。
煙の向こうにエヴァのコアが見える、いまだ身体にくっ付いたままの状態だ。
生物にあるまじき艶やかさを見せているソレが、
脈動、していた。
破裂寸前のポンプを思い起こさせた。
速度が上がる。
ぴきり、と亀裂が走る。
ピシピシ音を立てて広がり、ヘイフリット限界を超えて破砕した。
そこから『中身』が、大量の粘菌が溢れ出た。
津波のように周囲を圧し、僕の数m手前まで来てから逆戻りした。
まるでビデオテープの早回しと逆回転だ。
コアのあった場所に収束する。
その余りに早い変化には驚くばかりだ。
コアは完全に砕け散り、粘土細工のように人型へと移行している。
製作者のいない創作作業は、気味の悪いほどの正確さで進んだ。
腕が震えて余分な粘菌を飛ばし、腹が引っ込みその分を頭部として突き出し、植物の生長を思わせる動きで足が伸びた。
髪の毛が伸び、目鼻が整い、人型が整った。
瞳が開く。
赤い目に蒼銀の髪。
使徒の基本的外見だ。
男性型、背は180以上、年は20代後半か?
偉く落ち着いたものごしのソイツはゆっくり喋った。
生まれたばかりとは思えない、壇上で演説をするかのような荘厳さで、
「何故だ」
立ち上がり、何かの公式を解くようにソイツは――イロウルは続ける。
しっかりとした口調だった。
「何故、貴様はそれだけの能力を持つ、事前のマギによる算出ならば89%で我の勝利の筈、何故。ここ数ヶ月で発揮した貴様の力が霞むほどの能力を見せるなど有り得ん、リリン種が何故それだけの能力を持つ、無限に進化しつづける我と並ぶなど有り得ん。肉体的、精神的に最も防ぎにくい攻撃を何故に退けられる、適応し続ける我の攻撃を、ただの肉塊が防ぐことは叶わん、『アラエルの精神汚染』はそもそも脆弱なリリン種の精神では防御不可能な筈、『槍』のある前回ならばともかく、今回のような自力での抗戦など有り得ん、何故だ、何故だ、何故だ、何故だ、何故だ、答えよリリン」
「…………」
ちょっと面食らった。
いままで会ったことの無いタイプだ。
マギと共存しただけあって理屈っぽいのだろう。
「あ、えーと、バカ?」
僕はつい素直に喋った。
「…………」
「戦闘に理論もへったくれもないだろう、多数対多数の戦争ならともかく個人での争い、しかも殺し合いに定石があるわけがない、そんなこと考えてるから負けるんだよ」
まあ、もっと単純に言えば。
「気合と応援者の違いかな」
口の端を上げる。
「使徒は基本的に一人だからね、頑張る気力も違ってくるさ、単独であることの悲しさすら理解できないんなら、まあ、分からないだろうけどね」
「有り得ん、有り得ん、有り得ん」
使徒イロウルは首を振る。
「私に間違いは無い筈だ。私が負けることは不可能だ、そのような要因は不確定要素にも入らん、にもかかわらず攻撃が受け流された、防御の隙を突かれた、擬態を見破られた、この不利を挽回するのに必要な要素は今の私に有り得るのであろうか、このリリン変種に対抗する余地は有り得るのだろうか、最強種ぜルエルの『刃』をもっても――」
「んー、けど、君の方がまだ有利じゃないかな」
動きが止まった。
なんかコイツは見てて面白い。
「君には『予知』があるだろ? 欠陥アリとはいえね」
「…………」
「お、なんでそれを知ってるんだって顔だね」
「…………」
「カンタンカンタン、『元ネタ』のマトリエルだって負けたんだ。そこには何らかの欠点があるべきだよね、えーと、例えば『一度に一つの対象しか予知できない』とか、ね」
腕を組む。
「そう考えれば辻褄が合うことが多い、停電は予知できたのにチルドレンの出現位置をのがしたこと、パレットガンを叩き落したのに、それを拾い上げての攻撃まで対処してなかったこと、これらは『一つの対象しか一度に予知できない』とすれば説明がつく」
「…………」
「お、その顔は図星かな? だいたい使徒の能力は、どれも欠点と抱き合わせなところがあるからね、単純なものはともかく、複雑化すればするほど『欠陥』が存在する」
「なれば、なればどうする」
凶悪な視線で睨まれた。
「先にも言ったが、我を打倒するにたるにたる力を汝は持つか? 『進化』を続ける我に先ほどの『対処』は、もう通用しない、我は無限に強く変わる、汝がどれほどの力を持とうとも無駄だ。我は細胞の一片さえあれば負けることもない、ああ、『ディラックの海』で投げ捨てることも不可能だぞ」
「『分身』、または予備をどこかに残してある、か」
「然り」
どれだけの攻撃力であっても細胞すべてを瞬時に滅却することは無理に近い。シアの『殺界』があればどうにかなるかもしれないけど、それも『予備』をどこかに残しているのなら不可能になる。
「はー、面倒だなー、僕の『模倣学習』と君の『無限進化』、どちらが速いかガチンコで勝負したいきもするけどねぇ」
ニヤリ、と笑う。
「この場は、切り抜けられるよ」
「…………」
「おお、『何を言ってるんだこのリリン』って顔だ。意外と表情豊かだね、さて、こっちも講義し返そうかな」
指を振りながら続ける。
「さっきも説明したけど『予知』には欠陥がある、『一度に一つの対象』というアレだ、つまり注目している相手、この場合は僕相手にしか『予知』ができない、これは明らかなマイナス点だね、サトリの妖怪と似たようなもので予想外の事態に対処ができない、例えば僕が罠を設置したとしても、その罠を発動させる動きを『僕が』取らなければ察知できない、僕の次の動きが予測できても、周囲すべての動きが予想できるってワケじゃない。あくまで予知できるのは『僕の次の行動』だけなワケだ。ま、この場に罠は張ってないけど」
歩き、指を立てる。
「さて、話は唐突に変わるけど、戦術って基本的に『早く、正確に』ってのが要求される、こんな風におしゃべりするなんて下の下、最悪以上の馬鹿な行為だ、それでもするからには理由がある、そうした方が僕にとって有利な理由がね? さてそれは何だと思う? 正解は5秒後、ヒントは時間、かな」
イロウルの顔が鋭くなった。
こちらを注視してる。
その隙を逃がさず僕は言った。
「シアを予知してないよね?」
イロウルの目が見開かれ、非人間じみた動きで後ろを振り返った。
そう、『一つの対象』のみなら多人数攻撃には弱い、そのことを本人も分かっているのだろう。
焦りが手にとるようだった。
マトリエル本人もそのやり方で倒されたのだ。
そう、長々と話つづけたのは『時間稼ぎ』、注目をコチラに向けるため。
理屈っぽいものは情報が無いと混乱するものだ。
けれど、
振り返った、
使徒が見たのは――
「!?」
相変わらず地面にうつ伏せになっているシアだった。
「ば・か」
耳もとで囁く。
両手でガッチリと抱きついた姿は恋人同士のようだろうか?
男相手ってのがヤだけど。
「注目している相手を予知ってなら、その注意を逸らせばいいだけさ♪」
そのまま地面に『穴』を作る。
並みの大きさじゃない。
カメラのシャッターが開くように急激に広がる、どこまでもどこまでも。
『シア以外の全域』を穴で落とした。少なくとも視界範囲内は全て。
「!!???」
相手から見れば世界が落下したと思えただろう。回りの風景と一緒に落ちる感覚はなかなか味わえない。
そのまま現世の地獄、『赤い海』の上へと顕現する。
岩が落ちる、焼けた木々が落ちる、無数に穿った大地が割れる。
バベルの塔の崩壊や天空都市の墜落の一場面のようだった。
その中で、僕は使徒と上下に正対していた。
距離は10m。
『理解できない』といった顔のイロウルと目が合う。
だが、それは一瞬で、すぐさま沸騰しそうな怒りに変化した。
落ちてゆく中には『予備用』としてだろう。幾つかの粘菌の塊もあった。
手足の先を変形させ、予備用の粘菌も含めて、四方八方から巨大な槍として突進させる。
空気を貫き、岩を螺旋に消し去る様子は『ロンギヌスの槍』そのままだ。
触れれば成す術も無く、消失させられるだろう。
黒い直線が僕へと迫る。
シアと一番最初に会った時と同じだ。
この速度相手では僕にできることは少ない。
僕は口の端を上げながら、静かに唱えた、最後の言葉を。
「オオォォォオォオオオオ!!!!」
「――『リリス』の」
手を向ける。
槍状の相手の姿に、恐怖が見えた気がした。

「『アンチATフィールド』!!!!」

光りではない、音ではない、匂いも振動も無い、しかし、『確かな存在感』が爆発的に広がる。
僕を中心として広がったそれは、岩や草木をコナゴナに砕きながら槍状イロウル5人をあっという間に飲み込み、
「k@j※っ!」
弾けた。
他のものと一緒にLCLと化してボトボトと落ちる。
さながら巨大なマジックショーだ。
あれだけあった土砂を一瞬にして水へと変える。
タネはあるけど仕掛けはない。


――巨大な水柱が、太平洋のどこかに出現した。