「あるじ、せっくすとは何だ?」
何故か咳き込みだした。
『ディラックの海』をいろいろ探索し、さまざまなものを発見した。
あるじは殆どをあそこに入れているらしい。ATフィールドを組み込んだ『ぽじとろんらいふる』改造版や使徒の残骸の一部、代えの服やタオル、わたしの装甲・拘束具、ほったらかしな名画や楽器、武器は手榴弾から兵装ビルまで……
そんなものの奥にひっそりと、『秘蔵本棚』があったのだ。
ちょっと興味を惹かれて読んでみたのだが、いまいちよく分からない、だから聞いてみることにした。
「シ、シア、そんなのどこから……」
「まあ、良いではないか、それより質問に答えてほしい。いったい、せっ……」
「わーわー!」
あるじは、両手を振ってかき消した。
「……むう、あるじ、『リリンの全てを教える』のではなかったのか? 本を読んでも、いまいちよく分からなかったのだ」
あるじはダラダラと汗を流している。
「あー、えー、めしべとおしべが――」
あるじの抽象表現を多用した説明が終わった。
わたしは首を傾げる。
「結局、よく分からなっかった。あるじ、やはりここは実践の必要が……」
「あーあーあー♪」
歌い出した。
「……あるじ、じっせ……」
「らーらーらーららー♪」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「じっ……」
「さて、洗濯を……」
わたしはあるじの袖をつかんで睨む。
「…………勘弁して……」
「何故」
わたしは意識して鋭く問う。
「えーと、まず、シアが女性体じゃ……」
「ああ、少しの間なら変性を出来る」
「いつの間に……」
遠隔操作の練習の間に。
「あと、僕はシアの親代わりなんだから、これは近親相姦にあたるわけで――」「アヤナミレイに惹かれたくせに」
心持ち冷たい声で言った。
あるじの表情変化は面白いほどだった。
「な、な、なにを言うかな」
「それに、あるじはただの名づけ親だ。その件に関して問題にならない」
聞いてる内に、本格的な興味が湧いてきた。
「お?」
襟首を掴みつつ、背伸びをする。
顔が接近する。
わたしはごく真剣な表情を作った。
「それと――」
あるじにスパンッ、と小内刈りをかけた。
「なっ!」
タイミングよく決まったので、二人、宙に浮くようにソファーへと倒れこんだ。
好奇心は猫を殺せるかもしれないが、わたしを殺せない。むしろ、活力源だ。まして、あるじとも関係するとなればS2機関をも凌駕する。
マウントポジションをとる、これなら逃がさない。
乱れた前髪を直しながら、驚いた顔に問う。
「もし、真に親と思っているのなら、なぜ呼び名が『あるじ』のままなのだ? 『父』や『ぱぱ』と変えさせることもできたはずだな?」
「え、そ、それは」
「初めて呼んだ時から、いつでも変更は可能だったはずだ」
わたしは顔を寄せ、内緒話のように、囁く。
「それをしないあるじには、だから、願望があるのではないか?」
「な、なんの……?」
目を細める。
「そうだな、例えば――」
『海』の共有箇所から心を紡ぎ、奥深くに隠された部分を言葉にする。
「『シアを自分だけのものにしたい』」
あるじが反応する。
「『何もかもを奪いたい』」
ゆっくりと囁く。
「そんな願望だ」
嬉しくて、微笑んだ。
「わたしに……」
H本を取り出し、
「こうしたことを、したいのではないか?」
見せながら言った。
把握するのに時間がかかった。
「な、それどこから!」
「ふふふっ、発見したのだ。ところで、あるじは胸が大きい方が好みなのか?」
「え、そんなことは……」
「だが、明らかに偏りが……」
「だー! やめーー!!」
わたしが本を開けて読むのを、あるじが阻止しようとした。
実例を示そうとしたページは、わたしに似ていたので、ちょっと嬉しくて、嫌だった。
「ほら、ここなどは……」
「シアには、早いって!」
狭いソファーの上で、はしゃぎ合った。
その姿は恋人達のように見えただろうか?
なかなかの好勝負が続いたが、ソファーの上という限定空間のため、じきに捕まってしまった。
まず、右手を掴まえられ、続いて左手も緊縛された。結果として、わたしは仰向けに寝そべり、両手が取り押さえられた状態で捕まった。息が肌に触れるほど近い。
世界はとまった。
なんだろう、よくわからないが、わたしもあるじも石像のように固まった。本当に動けない。
H本がポトリと落ちる。
騒ぎ合った余韻は、まだ部屋の空気を騒々しくしてた。
何かの小説にこんな場面があった気が……
わたしは目を閉じた。そうしろと、こころのどこかが囁いた。
掴まえられている手に、震えが伝わった。
心臓がうるさい、どうしよう。
え、えーと、あるじに両手を拘束され、のしかかられていて、わたしは目を閉じていて、暴れたから服も乱れて、顔が熱い。なんだかよく分からないけど、あるじの雰囲気がいつもと違うけどそれは嫌じゃなくて、むしろ好ましいというかどきどきするというか、早く何かして欲しいけど怖い気持ちもあって……
だ、だめだ。わたし混乱してる。
つばを呑み込む音が上から聞こえた。
きぬ擦れの音、触れている箇所の移動、それらが、あるじの接近を知らせた。
閉じた瞼に、力が入る。

くちびるに感触がひろがった。

数瞬の後、掴まえられた手が、するりと抜ける。
あるじは、ばつが悪そうにしながら身を起こした。
わたしの真っ白な脳裏に、暖かさの無くなる恐怖が伝わった。
(あ、はなれる、の……?)
漠然とした喪失感。
あれだけ熱かった体温が離れて、冷たさが通り過ぎる。
大切なものが、永久に無くなるイメージ。
瞬間、起き上がって抱きついた。我ながらバネ仕掛けのように素早かった。
離れる? とんでもない話だ。そんなことは駄目だ。
ソファーの上で、あぐらをかいてるあるじにしがみついた。
「シ、シア……!?」
「…………ん……」
変性する。
出来るだけ、胸を大きくする。
骨格がスムーズに移行する、身体が柔らかい感触に変わる。腕が細く、肩幅が狭まった。骨盤が広がった。長髪は、変化のリズムにあわせるように揺らめく。
あるじの身体は強張った。
「シア! どういう……」
わたしは、あるじの瞳をまっすぐに見つめた。
命がけの真剣さで、瞳に全てを込める。
――逃がしたくない
目を閉じる。
「あるじなら、いいよ」
できるだけ、普通のことのように呟いた。
「あるじに、何されてもいい、殺されたっていい」
頬にそっとキスする。
ふるえて反応する様がいとおしい。
「他ならぬわたしが、そう望んだ」
「シ、シア……」
「もっと、もっとあるじが欲しいんだ……」
「いや、でも、ね」
躊躇しているようだ。
目は泳ぎ、両手は挙動不審だ。
なにを、なにをためらっているのだろう?
わたしのことが嫌い、ではないと思う。
どこにも行動を阻害する要因はないはずだ。
「駄目なのか?」
「え」
怖れていたことを問う。
真っ黒な、こころの奥底で、ふと気がついていた『ひょっとしたら』という疑念。
「やはり、わたしでは、駄目なのか……?」
うつむく。
「リリンでは無いわたしなんかでは……」
本気で、身体が震える。
そういった不安は、いつだってわたしを苛んだ。
だって、そう、わたしはどうあがいた所で、人間では、リリンではない。
あるじが近親相姦の問題を言っていたが、それどころではない隔たりがある。
普通の人間は猿と結婚したいとは思わない。
なぜなら完全に『別の種』なのだから、そこに真の愛情は発生しない。
わたしとあるじとの遺伝子的な違いは、ちょうどそのぐらいある。
そんな風に思われているだけなのだろうか……?
苦しい。
つらい。
わたしは、結局、パートナーには、なれないのか。
傍にいるだけなのか……
あるじの身体がぎしっ、と強張った。
抱きついた箇所から、フィールドが重なりはじめていた。
狂おしいくらい、あたたかいこころが伝わる。
わたしの悲しみも一緒に伝わったのかもしれない――
とてもとても重い、あるじの声が上から響いた。
「……シア」
顔が、怖いくらいに真剣だった。
わたしの不安を全て吹き飛ばすほど、瞳が深い。
「シア…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
なにも言えなかった。
黙って見ているだけなのに、こころが塗り替えられた。
心臓が怖い。
どんどん大きくなる。
血液が、疾走する。
吐息が、肌が、熱い。
中途半端に抱き合ったままで、何もできなかった。
ふたり黙ったままの静かな、醸造されていく時間。
決定的な、何かが変わる刻。
変化してゆくのを五感ぜんぶで感じた。
長いのか短いのかは分からない、けれど、蜜のように甘く、苦しい時間の後、
わたしは力いっぱい抱きしめられた。
息を吐いた。
安堵か、恐れか、感嘆か、驚きか、理由は分からない。
ただ、おかしなくらい動揺した。
初めて知るあるじの別の顔、そのことが怖いのか嬉しいのかも分からない。
「シア……」
あるじがわたしの名前を呼ぶ。
「シア……」
とても優しいこえ、わたしがいくらでも甘えられる、こえ。
愛しい。
誰にもあげない。
「あるじ……」
だから、わたしも囁き返す、どのように聞こえているかは分からないが、わたしの『ぜんぶ』を込めて。
あるじの息づかいが荒くなってた。
気がつけばわたしもだ。
あるじの手が、確かめるように肌を滑る。
(わたし、あるじにたべられようとしてる……)
そんなことを感じた。
返答は言葉ではなく、態度で示された。
だから、わたしも抱きしめる。
熱い息、気が遠くなりそうな緊張、筋肉の動きが分かる力強さ。
本当に喰べられても構わなかった。
本当に殺されても構わなかった。
それで、この苦しいような幸福が手に入るなら。
あるじの手が、わたしの胸に置かれる。
熱い吐息が首筋をくすぐった。
そして――

「ありゃ?」

まぬけな声が上がった。
見る間に縮小してる、わたしの胸……
どこかで、まぬけな効果音が鳴った。
何が起こったか分からなかった、が、数瞬の後、理解する。
絶望のため息が出た。
「あるじ…………………………………………………………時間切れ、だ」
肩の力が、どっと抜けた。
「へ?」
突然、株式相場を言われても同じような反応だろう。
理解不能な単語を言われた。そんな表情だ。
硬直の度合いも激しい。
わたしは、もう一度小さくため息をつく。
ATフィールドで無理矢理に身体を変えているので、時間制限がどうしても有るのだ。
あと5分でも時間があれば、そう考えると悔いが残る。
結局、未知なものは未知なままで終わってしまった。
まあ、でも、
わたしは、首にしがみついた。
「だが、あるじ、嬉しいぞ♪ 今度はちゃんとしような♪」
「…………へ?」
「直前までその気だったのであろう? なら次こそ最後までだ!」
「……………………………………えっ、え?」
む、まだ彼岸から帰ってきてない。
「あーるーじー、残念なのは分かるが時間制限があるのは仕方あるまい、わたしだって残念だ。あるじが『身体操作』をかけてくれれば良いのだぞ? こんな本では資料として役者不足なのだ」
片手でパンパンと『資料』を叩く。
「まったく、ふふっ」
わたしは鼻を擦りつけた。
「…………い、いやいやいやいやいやいやいや、や、やっぱ駄目だって!!!」
復活したあるじが、なにやら叫んだ。
わたしは片目だけを開けた。
「ん? 今さら何を言っている? わたしの誘惑に乗り、あわやの所までいっておきながら、責任を取らぬつもりか?」
「せ、責任って、僕にはシアを立派に育てる責任が……」
「それはあるじは自認しているだけであろう、わたしは認めぬ」
「だ、駄目だって! 僕は親、シアは子どもなんだから」
「親子のスキンシップは、あのようなものだったかのう」
「なっ!! 違うって!! そ、それに、もともと喰い、喰わせられるような関係なんだし、すこしくらいの逸脱は……」
「い・い・わ・け、だな。むう、そんなに嫌であれば逆にするか?」
「逆?」
「わたしが男性体に変わり、あるじが女性体に――」
「全力で断る!! これ以上、怪しい関係を増やさないで!!」
「ナギサカヲルの件から、そのほうが受け入れやすいと思ったのだが……」
「シア! 君はどういう記憶の仕方をしてるの!?」
「至極、正確な」
「そんなわけ……」
「ふん、なに? アンタら痴話げんか? バカシンジがよくやれるわね!!」
「え……?」
「む……?」
その偉そうな闖入者は、惣流・アスカ・ラングレーに見えた。




残るもの 残されるもの 第8話

最後の魔王





真っ赤な髪、腰に手をあてた態度、自身満々の表情、その姿は惣流・アスカ・ラングレーに酷似してた。
……わたしには、現実を把握する時間が暫く必要だった。
あるじは、意外に冷静だ。
「家には、ノックしてから入ってよ」
「なに、邪魔だった?」
「そうじゃなくて礼節の問題」
「ドイツ流よ」
「嘘言わないでよ」
我に返った。
「……おぬし、LCLに融けたのではなかったのか?」
わたしは、あるじにそう聞かされていた。
惣流・アスカ・ラングレーは振り向いて偉そうに言う。
「ハンっ! あんなの気合があれば抜け出せるわよ!」
「そうだったのか」
わたしでも液状になれば、復元は難しいと思うのだが。
「ATフィールドとは『こころの壁』。精神的要素は無視できぬのだな、なるほど」
納得した。
あるじが、頭が痛そうな顔をしている。
「えーと、なんて呼べばいいのかな――とりあえずアスカ? それでなんの用?」
「決まってるじゃない、そこのアンタ!」
「む、わたしか」
「アンタ、こいつの何なわけ?」
「妻だ」
ノータイムではたかれた。
「嘘を言うな、嘘を!」
わたしは心外だったので、頭を擦りながら言う。
「身も心もひとつになったであろう、今さら照れるな」
「『身も』っていうのは喰人のこと? 『心』っていうのはATフィールドのこと?」
「あるじ、恥ずかしいではないか」
「シア、照れるとこが違う」
「肉欲に溺れた、という言い方も出来るな」
「シアだけね、『肉欲』の意味も違うし……」
「溺れるほど喰う、という意味ではないのか?」
「違うって」
「では、どのような意味だ?」
「え、それは……また、次の機会に……」
「む、ズルイぞ、そもそもさっき――」
「止めっ!!!!!!!!!!!!!!」
凄い肺活量だ。
さすがセカンドチルドレン。
「……結局、アンタら恋人か夫婦なの?」
「そうだ」「違うって」
同時だった。
「…………」
「…………」
睨み合う。
惣流・アスカ・ラングレーがため息をついた。
「そこのアンタはなりたくて、バカシンジが違う、そういうこと?」
「いや…」「その通り!」
ギロリ、と睨みつけた。
「あるじ、何故、嘘を言う」
惣流・アスカ・ラングレーの肩を何故持つのだ? わたしの方が大切であろうに!
――ふと、こころの中で、ある可能性に思い当たった。
気がつく。
まさか……まさか――――
あるじがなにやら返答していたが、最早、聞こえない。
惣流・アスカ・ラングレー、あるじのファーストキスの相手。わたしはそんなのどうでもいいが、あるじには違うのか?
特別な意味、特別な感情を……
わたしはそれを必死に打ち消した。
確かめなければ。
「あるじ! そこの女リリンのこと、どう思ってる!」
突然の叫びに、戸惑っていた。
「え、そんなの別に――」
「決まってるじゃない」
女リリンが、ごく当然のように言った。
「結婚相手よ」
「!!!?」
「あらら」

「正確にはフィアンセ、許婚ね、分かる?」
発火。温度が上がる。
真贋を考える余裕は無かった。
「アンタが恋人とかなら遠慮もするけど、違うなら文句ないわよね」
冷静さが、理性が溶ける。
あるじが何かを言おうとするのを遮り、喋ってくる。
「そん―「アンタはもうお呼びじゃないの、出て行って。そうね、独り寂しく旅でもしてれば?」
あるじが言いかけた言葉が気になった。
だが、それよりも気分が悪い。
不安、恐怖は実態が無くとも広がることを知った。
独り……
わたしが?
あるじがいない……
一瞬、姿が思い浮かぶ。
身体の底が冷える。
奥歯が砕けそうになった。
そんなの、そんなの……
「同居するからアンタは邪魔なの、アツアツの新婚家庭にいたらアンタだって居心地悪いでしょ? これは親切で言ってるのよ」
そんなの、イヤ。
ぜったい、わたしは、あるじの……
「バカシンジって、スケベだからきっと大変よ、毎晩毎晩、愛し合うわね。そんなの見たい? それとも参加したい? まあ、アンタじゃ相手にされないだろうけどね」
もの狂う想い。
発火点。
殺意。
わたしに、抑える術はない。数瞬後には実行していただろう。
だが、それより早く。
「だ・か・ら、アタシとシンジは補完しあうの、来た早々だけど一緒にLCLへ帰るわ」

!?

何を言っている?
同居? 一緒に暮らす? それは文字通りではなく……
「サードインパクトの再現をする気か!?」
「そうよ、アタシとシンジだけのね」
頭が真っ白になる。
コイツは馬鹿か? そんなの、
「バカシンジがどう思おうと関係無いわ、無理やり連れてくだけよ、昔からアタシの言うことを聞いてきたし、今回もそれと同じね、それにどんなに文句いっても、融け合っちゃえば問題無いわね」
理解に時間が必要だった。
異世界の言葉を頭の中で翻訳して、やっと解読できる感覚、精神構造がまるで違うものの言葉だ。
本当に、なにを言ってるのか理解できなかった。
頭の中をリフレインする単語。
ツレテク? つれてく? 釣れてく? 吊れてく? 攣れてく? 連れ、て、行く……?
どういう、意味……?
わたしが邪魔になる、追い出される。ここまでは想像の範囲内だ。
どんなにつらくとも想像できる。
だが、これは、このことの結末は……
カチリ、と、こころの中で、何かが鳴った。
着火音、頭の片隅が理解した音だ。
消されたものが、再び点けられた。
コイツ!!!
駆けた!!!
今まで味わったことの無いような怒りが沸き立つ、目の前が赤に染まる、


コイツ、あるじを殺しに来た!!!!


瞬間的に熱を増す、恐怖で身体が震えた。コイツが、あるじを欠片も理解してないことを把握した。
四肢に力が込められる。
一緒に溶ける?
愛し合う?
コイツはバカだ!
さもなければ、感受性が死体並みに無い!
あの紅い海のこと、どれだけ憎悪しているのか知らないのか!
今までに、どれだけ苦しんだか知らないのか!
仮にも一緒に住んだ仲だろうに、そんなことも分からないのか!?
どれだけ冒涜するつもりだ!!!!

一秒に満たない時間でそこまで考えると、全力で蹴りを放った。
どうやって復活したか知らないが、これをまともに受けて原形を留めるはずがない!
蹴り足が真っ直ぐに突き刺さる。

受け止められた。

それも、突っ立ったままで。
「な――!」
そのまま弾き返された。
床に転る。
「バカなっ! バカな確かに!」
信じられない、たかがリリンが。
「そうね、確かにアンタ、ATフィールドを中和してたわ」
余裕で言う。
「だから、アンタが弱いだけ」
瞳孔が収縮するのが分かる。
怒りで頭が白くなった。
「シア、待て!」
わたしは強く、踏み込む。
余裕の表情へ拳を叩き込んだ。
続けて腹に膝を刺す。
テンプル・リバーへフックを入れる。
上段蹴りを斬り下ろす。
わたしが知る限りの技を駆使して、攻撃を続ける。打撃音が耳に入る前に、次の攻撃を放つ。衝撃波だけで家の小物が吹き飛んでいるのが見えた。滝壷のような轟音が小屋を揺らす。
それらを、コイツは何もせずに受け止めてた。
そう、黙って立っているだけだった!
フィールドはお互い破ってる、肉体の強さだけが勝負を決める筈だった。
それなのに傷一つもついてない!
むしろ、
ばしぃっ、とわたしの両手が止められた。
止めたあるじを睨む。
「シア、落ち着け!」
言って、わたしを抱えるようにして、距離をとった。
暴れるわたしを気にもしないで、リビング入り口まで下がる。
女リリンが感心したような表情をした。
「へえ、気がついた?」
「『学んだ』……か」
「そう」
艶然と微笑む。
「リリンの能力、いいえ特徴、『学習能力』で得たってわけ」
「『サンダルフォン』の『身体硬化』……」
呪うようにあるじは言う。
『学習』、聞いたことがある、18種の使徒はそれぞれに固有の能力がある。あるじの使っている能力も、もともと敵対していた使徒の固有能力であり、元から使えた訳ではないらしい、そして、それら敵対使徒の能力を『学習』こそが、リリンとしての固有能力であると。
「そうよ、バカシンジもこの『能力』は持ってないわね?」
「当たり前だろ、骨身にしみるくらいの攻撃を受けてなければ、普通は学べない」
使徒のもつ様々な固有能力、例えばサンダルフォンであればマグマに生身で耐えられる身体であり、サキエルならば手から撃ち出す『槍』のことだ。
「ま、アタシは天才だしね」
「そーいうことにしておく……」
あるじは片眉を上げた。
わたしは両手を払う。
「……つまりは、こういうことか? あの女リリンはあるじと同じくらい『厄介』だと」
「まあ、そういうこと」
道理で、打ち込んでた両手もかなり痛い。
『身体硬化』、とやらか? 吹き飛ばないところを見ると重さも変わっているのだろう。
「ハンっ、それでどうするの? アタシは大抵のフィールド攻撃は中和できるし、肉弾攻撃に対してはカンペキよ、アンタに勝ち目は無いわよ」
尻尾でも振って降参すれば、と付け加えてくる。
わたしは鼻で笑った。
要は身体が硬いだけだ。
「ならば、それ相応のやり方がある」
笑って両手に力を込める。
「殺界!!!!」
烈風と閃光が巻き起こる。
『空白』が女リリンを消し飛ばした。
絶叫し、消えてゆく。
コアだろうが、硬化物だろうが、原子単位で切り刻んだ。
家の4分の3を綺麗にくり抜き、爆風が荒れ狂う。
だが、女リリンは『分身』していた。
こちらが攻撃するよりも前に。
素早い。
分身は『殺界』上空に跳んでいた。
わたしは2撃目を放つ。
「虎殺!!!!」
新技だ。
わたしは左手を振り、限界まで凝縮した5本のATブレードを放った。
『殺界』余波の烈風を切り裂き、影へと走る。
またしても『それより早く』女リリンが攻撃を放っていた。
女リリンが叫ぶ。
「『ゼルエル』の『腕刀』!!」
突き出した腕が、薄っぺらの長方形に変形していた。自分の服を切り裂きながら、弾丸の速度でわたしに迫る。
白く輝くそれは、不吉な力強さを見せていた。
5本と1本は高速で交差する。
『限界まで凝縮した』わたしのブレードは、あっけなく砕かれた。
「くっ!!」
時間が歪む。
凶悪な鋭さが迫る。
脳が限界まで加速、
全てがスローモーションになった。
空中の粒子が見える。
視界が白黒になる。
必死で身体を捻るが――
(避けきれない!)
タイミングを逸していた。どうあがいても、これは当ってしまう!
フィールドの欠片が輝く中央を、長方形が突き進んでいた。
その向こうに、女リリンが見えた。
余裕綽々の表情で、
笑ってた。
嘲笑だ。
(ふざけるな!!!)
決意した。
(コアだけを避けて、反撃する!)
睨む。
切り裂かれても怯まない!!
最も鋭い刃が数m先に迫る。
一瞬後には、わたしは血まみれだろう、だが、その慢心の隙を突いてやる!!

と――
わたしが睨みつけているその空間に、歪みが生じた。
暗く、見慣れたそれは、黒く平らな『穴』だった。
奇妙な音をたて、長方形が吸い込まれるのと、わたしが無様に倒れるのとは同時だった。
時間が弾けて、流れが戻る。
「! 『レリエル』の『ディラックの海』!! シンジ、アンタ……」
(最強の『移す』防御……)
呆然としたのは一瞬。
立ち上がり手を振るう、『穴』を自力で消去した。その向こうの女リリンは、あるじを睨んでいた。腕の長方形はもとに戻っていた。次にあるじを狙おうと構えている。
勝機だ!
撃つ!
「発!!!!」
わたしは余剰エネルギーを撃ち出す。
「ちぃぃっ!」
女リリンが、それを避けた!
再び撃つ、こんどは連射で、家が更にボロボロになるが気にしない、また、あるじが直す。
先読みしても、無駄に多く撃っても駄目だった。
確実に、わたしの挙動よりも先に避けている。
こうなったら……
パコンっ!
わたしは、はたかれた。
「あほ」
「あるじか、今は邪魔しないでくれ」
あるじがまた『腕刀』を防御した。
「相打ち覚悟のやつが何言ってるんだ。冷静になれ。シアだって『海』、使えるだろ」
「む、そういえば」
「あと……」
「あるじ、感謝っ!」
わたしは走る。
戦いの場は外の森へと移った。
「ハっ! 懲りないわね!」
ブレードの乱舞。
先ほどと違い、普通のだ。
わたしは避け、あるいは手持ちの『穴』で防御する。
「バカシンジの後ろで守られてるようなヤツに、何が出来るワケぇ? ガキは大人しくすっこむのよ!!」
「すっこんでるのはキサマのほうだ! わたし達の生活を侵すな! 独りで帰れ!!」
「出来もしないこと言うんじゃないわよ!! 所詮、アンタはアタシ等の下僕なのよ!!」
「その通りだ! わたしの主人はあるじだけだ! わたしが決めた!! だからわたしは甘えるのだ!!」
「主体性の無いデク人形!!」
「高飛車にしかなれない無能女!!」
わたしは右手に『力』を込める。
よく分からない原理で、この女リリンは避けている。しかも、肉弾戦が効かない。だから、
(接近戦で『殺界』を叩き込む!!!!)
わたしは走る。
女リリンも走ってる。
ブレードの応酬では決め手にならないのだ。
「死ねぇ!!」
『ゼルエル』の『腕刀』か!
連射が出来ないことが、せめてもの救いだ。
だが、わたしは消える。
「なっ!」
防御用の『穴』を進行方向に置き、飛び込んだのだ。
瞬時に、敵の後方から飛び出る。
相手の表情は見えないが、絶好のチャンスだ。
右手を掲げた。

――わたしはこの時点で幾つかのミスをしていた。ひとつは相手が『事前に攻撃を避けれる』、このことを失念していた、短距離で最大攻撃をすることしか考えていなかった。もうひとつは、そう、『表情が見えなかった』のだ、わたしは、ただチャンスに飛びつこうとしてた。
女リリンの顔を知らなかったのだ。
見えていれば、全力で回避運動をとっただろう。
そう、見えていれば。
その勝利を確信した、歪んだ顔――

「『アラエル』の『精神汚染』!!!」
女リリンが光った。
白光が溢れた。
『殺界』とも違うその閃光、大音響が頭を撃ち抜く、聞いた事もない音楽が鳴り響く。
わたしを貫いた。

「aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

わたしの意識は切り刻まれる。
闇を見せられた。
一番、見たくない光景を。