踏み込みの音が、雪崩れのように続いていた。

木刀と木刀がぶつかり合う衝撃、大気を切り裂く剣撃、肉を打つ曇った音、骨の折れるあっけない軽音。

すべてが一体となって響き、道場内に尋常ではない雰囲気を作り出していた。

輪唱のように奏でられる、音と音と音。

熱気は冷めることなく、極限まで上昇し続けていた。

「ハッ!」

「ふっ!」

「はぁっ!」

「シッ!」

四面の中央では、四人の人間が打ち合っていた。

一対一の試合が二組。

死力をつくした戦いだった。

文字通り、相手を殺すつもりの斬撃を放ち合っている。

それは見た者に感嘆の念を抱かせずにはいられない、人間離れした動きだ。

道場にいる誰もが一流と呼べる侍ではあったが、彼らの周囲だけは、ぽっかりと空間が空けられていた。まるで、尊敬しつつも避けているかのように。

――いや、これは正確な表現ではない。

崇拝の気持ちや認めたくない悔しさも確かにあっただろう。

しかし、真実は鬼気に怯んだ為でも、敬服の為でもなく、ただ強引な実力で『空けさせられていた』のだ。

余りの凄まじさに、誰一人として近寄ることが出来ていなかった。

                アサシン

「オラオラ、どうした斎藤一! テメエはその程度か!」

木製の棍、それを絶え間なく突き出していた。

速度は神速。

常人であれば視認さえ不可能な早さで突き出される。

「…………」

そう、常人であれば。

男は涼やかな様子のまま、機関銃の速度を持つ連撃を悉く受けきっていた。

         ランサー
「吠えるな、原田佐之介、興がそれる。犬の如く吠える暇があるのならば、攻撃のひとつでも入れてみせたらどうだ? 貴様の腕ではとうてい無理なようだがな」

怜悧な瞳のまま、唇だけを皮肉げに吊り上げた。

会話の最中にも、手は止まらない。

ランサーが神速であれば、アサシンのそれは魔速だった。

受けることは到底不可能と思われる攻撃を、平静な顔のまま弾き続けている。

それどころか、合間合間には反撃にすら転じてた。

「テメエ……!」

頬を僅かに長刀が掠めた、木刀とはいえアサシンが振るえば、その殺傷力は真剣と変わらない。

言葉と技、その両方で揶揄されたランサーは、殺意を凝縮させた顔つきとなった。

――本気となった証だ。

「……俺を『犬』と呼んだからには、相応の覚悟をしてるんだろうな……」

「覚悟? そちらが這いつくばるのを見る覚悟か?」

「――死ねっ!」

「やれやれ、風流を解さない男はすぐこれだ――」

獣のような独特の構えと、幽玄な立ち姿。

ふたりの姿が霞んで消える。

次の瞬間には衝撃が走った。ほぼ同時に三度。

それは道場を揺らし、室内だけの地震を起こした。

長尺の木刀と棍、規格外に長い間合いを持つ両者の得物は、周囲の人間すら巻き込み、竜巻のように荒れ狂った。


       
セイバー
「良いのか、総司?」
       
アーチャー
「何がです、歳三」

二組のうち、もう一方は酷く静かだった。
 
セイバー         アーチャー
沖田総司は正眼で、土方歳三は二刀を構えたままで、まったく動かない。

動かないまま、口だけが別個の存在であるかのように会話を続けていた。

「あの二人だ。放って置くのか? 止め役はいつもお前だろう」

「む……」

目線だけを動かし、

「構わないでしょう」

明瞭に答えた。

「ほう、何故だ?」
                        
アサシン
「あれで二人は気が合っています、特に斎藤一は、存分に技を競えるのが嬉しくてたまらない様子です」

「……確かにな」

暴れ回っている二人は、その表情こそ殺伐としたものだったが、動きそのものに暗さは無かった。むしろ、真剣に競技を行っている者特有の明るさがある。

己が全力を受け止められる喜び、と言えばいいのだろうか。

『殺すつもりで放った一撃』が防がれるたびに、口の端が上がっていた。

動作のひとつひとつにも張りが出て、心底、この『殺し合い』を楽しんでいることが分かる。

「羨ましいものです」
 セイバー
沖田総司は儚げに微笑んだ。

「…………」
 アーチャー
土方歳三は目の前の友を見つめた。

誰も知らない高貴な花のような立ち姿だった。

いつのころからか、セイバーの頬は痩せこけ、身体も木刀を持つのが無理だと思えるほど、細くなっていた。

まるで、現世と常世の狭間に、なんとか踏みとどまっているかのようだ。

実際、前に立たれても現実感に乏しく、生あるものとは、とても思えない。

「さて、行きますよ」

笑みを引っ込め、セイバーが木刀を握り締める。

剣気による結界が、その範囲を広げて行くのを彼は感じた。

「ああ」

二本の木刀を握り直した。

眼前の好敵手を見つめ、思考を深く、鋭く、研ぎ澄ます。

――二人の周囲に、他人が踏み込めない理由がこれだった。

入った瞬間に、火傷しそうなほど圧倒的な『気』の密度、それが同輩を遠ざけていた。

上から見れば、二人を中心とした無人の円が見れることだろう。

余人を寄せ付けぬ空間の中、アーチャーは心中、呟いた。

(気を緩めれば、負けるだろうな)

一つの油断が敗北に繋がる。

今日こそは敗北する可能性があると、己に言い聞かせた。

セイバーは、儚さを増すにつれて、剣技もまたその玄妙さを増していた。

対戦する誰もが、「人間と戦っている気がしない」と感想をもらすほどだ。

当てたと思った一撃が避けられる、気がつかぬうちに攻撃を喰らっている。まるで、性質の悪い詐術にでもあっているような感触だ。

この技により、「セイバーは見えない剣を持っている」と噂すら立てられていた。

アーチャーもこの不可思議な現象に、このところ苦戦を強いられてた。

(――だが)

彼としても、先に剣を習い覚えた自負がある。負けるのにはまだ早い。仮に追い抜かされるにしても、意地のひとつでも見せなければ立つ瀬がない。

そう思考し、自身の持つ、最強の攻撃を繰り出す決意をした。

「行くぞ」

「…………」

初めて動きを見せる。

アーチャーが一歩、前へと踏み込んだのだ。

すり足も何も無い、無造作な歩みだった。

そのまま、散歩でもしているかのような気軽さでセイバーへと迫る。

一足一刀の間合い、その間際にまで近づき。

「!」

セイバーから見て、右側から、袈裟懸けに木刀が『出現』した。

アーチャーの手は動いているように見えない、にもかかわらず、防いだ木刀には重い衝撃が走る。

空気が悲鳴を上げて吹き荒れ、セイバーの裾野をはためかせた。

出現する剣は一つでは終らなかった。

左からの横薙ぎ、咽に迫る突き、打ち下ろされる唐竹割り、脛を狙った攻撃と、息もつかせぬ連撃が、とてつもない速度で『出現』し続ける。

終ることのない、永遠とも思える剣撃。


――故に、技名を『無限の剣勢』と呼ぶ。


アーチャーは鷹の目でセイバーを睨みつけ、攻撃を繰り広げていた。

ただ立っているだけのように見えても、その剣閃の速さは必殺だ。

達人の居合の如く、抜き手すら見せずに敵を殺す。それも連続攻撃という言葉が馬鹿らしいほどの威力と速度でだ。

一度、技を出せば微塵も生存が不可能な結界となる。

――はずなのだが。

「くっ……!」

「ふぅ……っ……!」

セイバーの天才はそれすら超えていた。

柳のように揺らめきながら、躱し、弾き、或いは反撃する。

鉄のみ存在を許された結界の中で、ごく幽かな間隙へと逃げ込み続ける。

それは、もはや人間技を超越していた。

アーチャーは、実体のない幽霊を相手にしているような錯覚を覚える。

いくら斬りつけようとも、すべてがすり抜け、時折、実体を持った木刀が突き返されるのだ。

彼は奥歯を砕く勢いで噛み締めた。

(ふざけるなっ!)

ともすれば無力感に囚われようとする心を叱咤し、より速く、より鋭く、剣撃を組み立てる。

その顔は、今や狂相を浮かべていた。

悲鳴を上げる筋肉を無視して、力を込める。

一方のセイバーも、アーチャーが思うほどには気楽ではなかった。

(おかしい……)

むしろ、戸惑いの渦中にあった。

普段であれば、これほどに長い時間、『無限の剣勢』を避けるなどありえない。

技巧をどれだけ凝らしても、圧倒的な剣量に押し潰されるのが常だった。

セイバーの技術力では、それが限界なのだ。

にも拘らず、避けているのは――

(なぜ、次撃が『分かる』のです……?)

映像として見えるわけでも、経験として予測できるのでもなく、ただ単純に次のアーチャーの動きが『分かっている』のだ。

いかに鋭い連撃といえども、手は二本。

予測が可能であれば、避けることは容易かった。

すべきことが分かるのだ。

(右からの逆胴を受け左上から面を躱し突きによる幻惑を無視し鋭い右からの小手を弾き足への斬撃は半歩下がることで無効化――)

時間が遅く流れているように感じていた。

次の流れ、次の動き、次の剣の位置が低速で見える。

セイバーは、かつて無い境地にいることを悟った。

疑念が消える、音が消え、色彩も消える。

自分の躰が恐ろしいほど自在に動く。アーチャーの焦りが手に取るように把握できる。高速で振られている木刀の木目を数えられる。

秒の間に百を越える攻防を交わしながら、セイバーは静かに喜んでいた。

(こんな境地があるなんて……)

剣による結界の中、セイバーは自由に躍りつづけていた。



人外の動きをする四人、彼らを見つめる者がいた。

上座であぐらをかき、腕を組みながら微動だにしていない。

その姿は巌と呼べた。

巨大な岩石を無造作に置いたかのようだ。

「…………」
バーサーカー
近藤勇だ。

俯きながら、片目だけで射るように見ていた。

赤い瞳に満ちる緊迫は、実際に戦っているとすら思えた。

その対象は、いまはセイバーだけに留められていた。

セイバーは、口の端にかすかな笑みを浮かべ、そのまま後方へと距離を取った所だった。

剣勢の結界外に逃げられ、アーチャーはたたらを踏む。

その間にセイバーは剣を上段に構えた。

担ぐような独特の構えだ。

「はァっっ!!!」

裂帛の気合が周囲を圧する。

アーチャーもまた『無限の剣勢』を発動させようと構え。


「そこまでだ」


さほど大きくも無い、バーサーカーの声が響いた。

威圧感そのものをぶつけたような音に、静寂が一気に広がった。

アサシンとランサーは咽もとに、それぞれ棍と木刀を突きつけていた。

セイバーとアーチャーはそれぞれに構えの体勢のままだ。

他の隊士たちも、止まっている。
アーチャー
「土方、藩主に会いに行く。付き合え」

それだけを言って、外へと向かう。

「……分かりました」

隊士に幾つかの指示を出し、バーサーカーの後を追う準備をした。

胴着を脱ぎ捨て、手に馴染んだ木刀を壁にかける。

「…………」

彼はセイバーを見た。

不思議そうな顔で、先ほどの肩に剣を担ぐような構えから素振りをしていた。

拳を握り、踵を返す。

その手の中は、冷や汗で湿っていた。



「ありがとうございます」

藩主に会いに行く道すがら、アーチャーはバーサーカーにそう述べた。

「気がついたか」

「はい」

それだけの会話をし、あとは無言のまま歩きつづけた。

砂利道を歩きながらアーチャーは考える。

(もし、仮に、あのまま激突していたらどうなっていただろうか)

結果は正確には分からない。

勝負とは水物だ。

僅かな要素でいくらでも勝ち負けは引っくり返る。

だが、それでも、彼は勝てる気がしなかった。

セイバーの剣が自分の躰に当たる、それが前々から予定されていた事実のように感じられた。

いまでも思い返すと背筋が寒くなる。

あのままでいたとしたら――

「死んでいただろうな」

「え」

バーサーカーが、心中を読んでいたかのような言葉を放った。

「理はわからぬ。だが、あのままではお前は殺されていた」

「…………」

なにを馬鹿な。そう言い返そうとして、アーチャーはそれが真実であると悟った。

言われた瞬間、指先が思い出したかのように震え出したのだ。

「む」

立ち止まり、その手を抑える。

だが、震えは止まるどころか、より大きくなった。

閃光として突進するセイバーが上から振り下ろす一撃。木刀であるにも関わらず極限まで錬りこまれた一撃が、自分の頭蓋骨を吹き飛ばす映像が見れた。

「くっ……」

己の躰を抱きしめた。

こまかに震えるのを、必死に抑えようとしていた。

目を見開き、歯をくいしばるが、顔から血の気が失せるのほどの恐怖は立ち去らなかった。

避けようの無い死が、つい先ほど迫っていたのだ。

バーサーカーは黙ったまま、見ていた。

同情ではなく、感嘆を込めて呟いた。

 セイバー

「沖田は天才だな」

「……天才…」

それはつまり、人を殺す天才だということだ。

アーチャーは、どこか子どもっぽさの抜けない友人を思い出した。

セイバー自身、子どもが好きで、よく道端で遊んでいるところを見かけたものだ。その無邪気な笑顔と先ほどの死をもたらそうとした顔とを、上手く重ねることができなかった。

「俺を越える日も近いかもしれん」

「そんな、まさか」

局長の顔を呆然と見上げた。

そんなことはとても信じられなかった。

局内で誰が一番強いか? こう問われれば、議論は沸騰するだろうが、結局はバーサーカーが最強だという結論に達するのが常だった。

速さで言えばランサーが最速だろう、剣技で言えばアサシンに軍配が上がる。二つが上手く均衡した形こそがアーチャーであった。

だが、それでも局長に勝つ事はできない。

力任せに振るわれる刀もさることながら、独自の『気』を応用した技、『12の試練』によって、必殺の攻撃が12回まで無効化されてしまうのだ。

こと、近接戦闘において、バーサーカーに敵うものはいないように思えた。
     
キャスター
「死んだ芹沢鴨であるなら分かります。西洋銃の使い手だった。だが、まだ若干15のセイバーに局長が遅れをとるとは思えません」

「……そうか」

それだけを、新撰組局長は静かに呟いた。